2020年代も半ばに差し掛かり、ますます人材獲得競争が激化するなかで、従来の採用手法だけでは優秀な人材の確保が困難になってきています。特に日本では、少子高齢化による労働人口の減少が進み、多くの企業が人材確保に苦心しているのが現状です。
その上では、より戦略的な「採用活動」の強化が求められます。具体的な対策として、マーケティング的な思考方法が大いに役立ちます。
企業活動においてマーケティングは「顧客のニーズを捉え、価値を提供する活動」として定着していますが、採用活動もまた「企業と求職者の相互の価値提供を実現する活動」と捉えることができるためです。
両者は「認知」から始まり「興味喚起」を経て「決定」に至るプロセスを持ち、さらには決定後の継続的な関係構築までを視野に入れた活動が求められます。
また、マーケティングが事業戦略と収益のバランスを取るように、採用も人材戦略と組織戦略の整合性を図る必要があります。
本稿では、マーケティングと採用の類似点と相違点を整理しながら、「これからの採用活動においてマーケティング思考がなぜ有用なのか」を論考します。
目次
マーケティングと採用は類似する部分も多い
マーケティングと採用活動の共通点として、最も顕著なものは「ファネル構造」です。
マーケティングと採用活動のフローを整理すると、一般的には以下のような流れになっています。
<マーケティングのファネル>
- 認知→興味→比較・検討→購買
<採用活動のファネル>
- 認知→興味→応募→書類選考→面接→内定・入社
両者ともに核となるのは「顧客(候補者)の行動と心理を理解し、段階的にアプローチしていく」という考え方です。
各段階で「潜在候補者→関心層→応募者→内定承諾者」というように、人材のコンバージョン(転換)が発生します。
ファネルを効果的に機能させるためには、ライトタイミング・ライトコンテンツでの価値訴求が求められます。
顧客志向のマーケティングを実現するための「Always On」とは何か?でも解説した「顧客が求めるタイミングで、顧客の認知行動に沿った形で情報提供していく」考え方です。
マーケティングでは顧客が求めるタイミングで自社の製品やサービスの価値を顧客に伝え、訴求していきますが、採用活動でも同様です。企業文化やビジョン、キャリアパス、報酬体系など、「この会社で働く価値」を明確に打ち出す。その上で、候補者の興味を喚起する必要があります。
これは単なる情報発信ではなく、候補者の心理や意思決定プロセスに沿った戦略的なコミュニケーションといえます。
ターゲット設定に関しても類似性がある
こうした価値訴求を効果的に行うためには、適切なターゲティング設定も重要です。
マーケティングでは顧客層を細分化し、各セグメントに最適なアプローチを行いますが、採用でもこの考え方は同じです。「求める職務」「経験年数」「専門性」によって候補者層を分け、それぞれに適した媒体選定やメッセージング、アプローチ方法を設計していきます。
この過程で重要なのは、各セグメントにおける候補者の特性や行動パターンを深く理解することです。
また、候補者への理解を深める活動は、採用前段階だけのものではありません。マーケティングが顧客との継続的な関係構築を重視するように、採用においても「入社後の定着やエンゲージメント強化」が重要です。
長期的な視点で見ると、マーケティングが事業ポートフォリオの最適化を図るように、採用でも将来を見据えた人材ポートフォリオの構築が求められるでしょう。
マーケティングと採用で異なる要素
一方で、マーケティングと採用活動には、構造的に異なる部分も存在します。
最も大きな違いは、「売り手」と「買い手」の立場が逆転することです。通常のマーケティングでは企業は「売り手」として商品やサービスを提供し、顧客は「買い手」として選択を行います。
しかし採用活動では、企業が「買い手」となって「候補者(≒顧客)」を市場から獲得する必要があります。つまり、採用活動において企業は「買い手」でありながら、優秀な人材を惹きつけるために自社の価値を「売り込む」必要があるのです。
選考プロセスでは企業が「選ぶ」立場になりますが、同時に候補者からも「選ばれる」必要もあります。ある意味で、採用活動は「買い手が行うマーケティング」という性質を持っているのです。
加えて、「人」が関わるからこそ、マーケティングの中でも難しい側面があります。
少子高齢化による労働人口の減少は、市場の需給バランスを大きく変えています。マーケティングにおいては顧客獲得競争が熾烈でも、基本的には顧客側にある程度の選択肢が存在します。
一方で労働市場、とくに高度専門人材においては需給ギャップが拡大しており、企業側は優秀な人材を獲得するために熾烈な競合を繰り広げなければなりません。
当社がサービスを提供するBtoBマーケティング領域を例にとって考えてみましょう。
BtoB領域で求められる「マーケティングの役割/機能」とは何か?ではBtoBマーケティングは、その取引の機密性の高さから具体的な事例やノウハウが公開されにくく、体系的な知見の蓄積が進みづらいと述べました。
この場合、マーケティングの実務経験者であっても、BtoBとBtoCではアプローチ方法が異なるため、適応が求められます。そもそもBtoBマーケティング自体は近年注目が集まり出した領域ですので、まだまだ経験者自体が多くありません。
このように専門人材が希少な領域の採用活動では、「人材確保」だけでなく「その後の育成」を見据えた採用活動が必要なのです。
マーケティング思考が採用活動に与える恩恵
ここまでの類似点と差異点を踏まえ「なぜマーケティング思考が採用にとって有用なのか」を整理すると、以下の理由が浮かび上がってきます。
- ①:戦略的思考による人材獲得の最適化
- ②:候補者の体験価値の向上
- ③:エンプロイヤーブランディング(Employer Branding)の確立
- ④:マーケットイン志向によるミスマッチ回避
- ⑤:長期的な関係構築の実現
それぞれ個別に論考します。
①:戦略的思考による人材獲得の最適化
マーケティング思考を導入することで、単なる「人を採用する」という行為を、企業戦略と連動した体系的な活動として再定義できます。
例えば、マーケティングでは「どの顧客セグメントを攻略するか」「どのようなバリュープロポジションで臨むか」といった要素を定義します。それと同様に、採用活動でも「どの職種・スキルセットを強化すべきか」「どのような企業価値観を訴求すれば理想的な人材に響くのか」を明確にしやすくなるのです。
そもそも採用活動は、その時点での候補者のスキルで判断はするものの「事業活動の環境変化」「採用後の立ち上がり」を加味すると、中長期での視点も求められるものです。単なるリソース人員だけでなく、自社のこれからの事業展開を見据えた、大局観の伴った採用を行う必要があります。
マーケティングでは、短期的な成果創出だけでなく、より将来を見据えた取り組みを行います。同様に採用活動でも、人員補強のため短期の数値目標を追いかけるのは前提としつつ、中長期目線を持って「採用戦略の策定」「職務定義書の定義」を行わなければなりません。
また、マーケティングの特徴である「KPIに基づくデータ起点のアプローチ」も、採用活動の質を大きく向上させます。
「Web上の行動履歴」「コンバージョン率」「商談化率」などの数値目標を分析して戦略を改善するように、採用においても以下のようなKPIを用いてPDCAを回すことが可能です。
<採用活動でのKPI例>
- 応募者数
- 書類通過率
- 内定承諾率
- 定着率
- 早期離職率
- 候補者満足度
これにより、感覚や経験則だけでなく、客観的な根拠に基づいた採用活動の改善・最適化を図れるでしょう。
②:候補者の体験価値の向上
マーケティングの根幹にある「顧客中心主義」の考え方を、採用活動における「候補者中心主義」として応用すれば、候補者の体験価値向上に繋げられます。
応募者の体験価値を重視し、応募段階から面接、内定、入社、オンボーディング、定着に至るまでの一連のプロセスを最適化することで、入社後の労働意欲も向上するでしょう。
例えば「選考プロセスにおける丁寧なコミュニケーション」「タイムリーなフィードバック」「内定後のフォローの充実化」など、転用できるマーケティングノウハウは多くあります。
候補者視点での体験価値向上を図ることで、企業は各接点において候補者が感じる価値を最大化し、ポジティブなブランドイメージも醸成できます。
③:エンプロイヤーブランディング(Employer Branding)の確立
マーケティングでは、ブランド戦略が顧客獲得・維持のために重要ですが、これは採用活動においても同様です。
「自社で働く価値」を明確に定義し、発信していくエンプロイヤーブランディングは、人材獲得競争が激化する現代において、ますます重要性を増しています。
マーケティング思考を導入することで、この「なぜ自分はこの企業で働くべきか」という本質的な価値提案を、より戦略的に構築できます。
自社の強みや独自性を体系的に整理し、それをターゲット人材に響く形で表現する。あるいは、社内の成功事例や社員の成長ストーリーを効果的に発信していくと言った形です。
④:マーケットイン志向によるミスマッチ回避
マーケティングの基本原則の1つに「マーケットイン」という考え方があります。これは市場のニーズやトレンドを起点に戦略を立案する手法です。
「インターナル・マーケティング」がマーケット・イン型の事業開発を加速させるでも述べたように、マーケットインは「ニーズ先行型」の戦略といえます。
マーケットインの考え方を採用活動にも応用すれば、より実効性の高い人材獲得を図れるでしょう。
採用活動では「こういう人材が欲しい」という企業側の理想論も先行しがちです。
しかし、マーケットイン志向で採用を捉え直すことで、労働市場の実態や求職者の価値観、業界動向などを踏まえた、より現実的な戦略立案が可能になります。
市場視点を重視することで、理想と現実のギャップから生じる入社後のミスマッチを防ぎ、結果として定着率の向上や組織の生産性向上にも繋がっていくのです。
⑤:長期的な関係構築の実現
BtoBマーケティングでは、一度の取引ではなく、顧客との長期的な関係構築を重視します。これは「顧客生涯価値(LTV:Life Time Value)」そのものであり、顧客との取引関係における長期的な収益性や価値を重視するものです。
同様に、採用活動も「人材の獲得」で終わるものではありません。むしろ、それは長期的な関係性の始まりといえます。
マーケティングのLTV的思考を用いれば、採用から入社後の活躍、さらにはその後のキャリアまでを見据えた一貫した価値提供の設計が可能になります。
中長期視点で「入社後の育成計画の立案」「キャリアパスの明確化」を図れば、採用者の成長と組織への貢献度合いを段階的に高めていけるでしょう。
マーケティング思考で採用活動はどう変わるのか?
マーケティングの世界では、顧客が自然と興味を持ち、アクションを起こしてくれるような価値のあるコンテンツを提供し、持続的な関係構築を目指す「インバウンドマーケティング」が増えつつあります。
企業ブログやSNS、オンラインイベント、社員インタビューなどのコンテンツを作成することで、自発的に購買意欲を高めてもらえるような施策です。
採用活動にマーケティング思考を転用すれば、同様に多様なコンテンツを通じて企業の価値観や文化を発信し、共感する候補者との自然な出会いを創出していく形になるでしょう。
その上では「企業が候補者に提供する価値」も、より明確に定義し、発信していく必要があります。
マーケティングでいうUVP(Unique Value Proposition:独自の価値提案)に相当する、「EVP(Employer Value Proposition:従業員価値提案)」の重要性が増していくと考えられます。
つまり「なぜこの会社で働くべきか」という本質的な価値を、より説得力のある形で提示していく必要があるのです。
こうした取り組みを効果的に運用するために、データやテクノロジーの活用機会も増えていくでしょう。「候補者の動向分析」「タッチポイントの最適化」「フィードバックの収集・分析」など、マーケティングと同様のデータを起点としたアプローチです。
とはいえ、「より良い採用戦略はわかるけど、現実問題として自社では実現できない」というケースもあるでしょう。
そのためBtoB マーケティングの理想と現実のジレンマ – 顧客視点 vs 自社視点 –でも述べたように、まずは「候補者(≒顧客)視点」で戦略を考える。その上で、「自社視点での実現可能性」という理想と現実のギャップを埋めていくことが大切です。
「候補者のニーズ」を仮説立ての重要性
マーケティング思考を採用活動に導入するなら、「相手のニーズを理解する」ことがより重要になってきます。企業側の要件や条件を中心に考えるのではなく、これからは候補者が求めるものを深く理解し、それに応える形で自社の価値を提案していくということです。
その上では、事前に候補者ニーズについて仮説構築をしておく必要があります。インサイドセールスの成功率を上げるための仮説構築とは?でも述べた内容に近いですが、業界知識や職種特性を踏まえた仮説を立てることで、より深い候補者理解が可能です。
なお、精度の高い仮説を構築するためには、BtoBマーケティングでも主流になりつつある部門間連携も求められます。各部門に蓄積された候補者理解のため重要なインサイトを有効活用していこうということです。
例えば、現場マネージャーは職種特有の課題や育成方針について、経営層は将来のキャリアパスや期待する役割についての知見を持っています。これらを収集することで、より精緻な仮説構築に繋げられます。
「候補者視点」に立ったアプローチが人材確保に繋がる
ここまでみてきたように、マーケティングと採用には多くの共通点があり、その本質は「価値を伝え、選ばれる」という点にあります。
たしかに、マーケティングでは企業が「売り手」、採用では「買い手」という立場の違いはあります。しかし、その本質は変わりません。重要なのは、採用活動においても「候補者視点」に立った考え方を導入することです。
「候補者が本当に知りたい」と考える情報(例:企業文化、成長機会、報酬体系、ブランド価値など)を、適切なタイミングで、適切な方法で伝えることで、より適合度の高い候補者とマッチングできるでしょう。
そもそも候補者からみれば、いち企業への就職は自身のキャリアや人生に大きな影響を与えることを忘れてはいけません。「入社を決意する」という行為は、個人や家族にも関わる重要なライフイベントです。
そのため、企業としても真摯な情報発信と誠実なコミュニケーションが求められるのではないでしょうか。
マーケティング思考を採用活動に取り入れることは、単なる「人手不足への対処」ではありません。それは「自社にとって最適な人材を中長期的に確保し、価値を最大化する」という経営戦略そのものなのです。
人口動態の変化が進み、人材獲得競争が一層激化するなか、こうした戦略的な採用活動は、今後ますます重要性を増していくと考えられます。企業は単なる募集活動を超えて、より持続可能性のある人材獲得・育成のプロセスを構築していく必要があるでしょう。