「事業の新たな成長のためには、事業部横断機能を持つべきだ」といったあるべき論をよく耳にします。しかし実際にその機能を携えたところで「具体的に何ができるのか、どんなメリットがあるのか」が明確にならなければ、長年に渡って築かれた組織文化を打破することは難しいでしょう。しかし逆に言えば、「あるべき論の具現化プロジェクト」をまずは小さくとも成功させることが、個人、ひいては組織の意識を変えるための大きな一助となるはずです。
今回お話を伺った旭化成株式会社は、多様な製品群を持ちさまざまな業界に展開する総合素材メーカーです。そんな旭化成が、全社横断で自動車関連事業の拡大成長を求めて取り組んだのが、コンセプトカーを自社開発する「AKXY(アクシー)プロジェクト」でした。組織の立ち上げから携わられた現モビリティマテリアル事業部長の宇高 道尊氏に、プロジェクト推進における工夫や全社横断的な意識づけの方策、CMOの必要性と求める資質などについてお話しいただきました。
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中期計画と現場の危機感から生まれたAKXYプロジェクト
大橋:今回は、2017年に発表されたコンセプトカー「AKXY」の開発プロジェクトを切り口として、旭化成における事業部横断マーケティングについてお伺いしていきます。まずは、プロジェクト発足の背景から教えていただけますか?
宇高:2015年当時、私は経営戦略室に所属しており、翌年からの中期経営計画の策定に向けた準備を進めていました。その中で出てきたのが、自動車事業への注力という柱です。そもそも自動車業界向けの製品が多いとは思っていたものの、改めて全社の事業を洗い直してみたところ、かなり多様な製品をつくっていたんです。
宇高:たとえばエンジン周りの部品に使われるエンジニアリングプラスチックという高機能樹脂、タイヤの合成ゴムや繊維、エアバッグに使われる繊維、人工皮革の表皮材料、他には半導体もありました。それらを結びつけ、旭化成全体として点と点ではなく、面と面で顧客に提供してくための戦略を描こう、というのが目指す方向性でした。
大橋:既存事業を横断的に連携し、自動車関連事業の売上を伸ばすためのプロジェクトだったわけですね。
宇高:実はもう一つの側面もありました。当時は、世の中の流れとしてエンジンで走るガソリン車から電気によるモーターで走るEVが台頭してきた時期でした。エンジン周辺の耐熱性が高い樹脂をつくっている事業部には「このままエンジン車がEVに取って代わられると、製品自体のニーズがなくなるんじゃないか?」という危機感があったんです。そこで、若手のメンバーが中心となり、学ぶ意味も込めて自分たちで自動車をつくるプロジェクトをやりたい、という声が寄せられました。
大橋:なるほど、上からだけではなく、下からも声が上がっていた。
宇高:そうなんです。そこで、象徴としてのコンセプトカーの開発プロジェクトを行うこととなり、組織を立ち上げました。しかも、ただコンセプトカーをつくって終わりではなく、横断的にマーケティングを行うことも組織の使命として掲げたんです。
全社を見つめ、未来を紡ぐ。想いを原動力に走り出した挑戦
宇高:自動車業界の産業ピラミッド上、トップにはいわゆる自動車メーカーのOEMがあり、その下の部品メーカーをティア1(一次請け)と呼びます。部品メーカーに対して細かなパーツを納めるメーカーがティア2(二次請け)で、素材メーカーの旭化成はティア2に素材を納めるティア3(三次請け)に当たります。
我々は自動車関連の製品を持っているとはいえ、あくまで自動車部品に使われる素材に詳しいだけに過ぎません。自動車製造の全体像を理解しているかといえば、できていない。顧客の理解はマーケティングの非常に重要なポイントですが、そこが足りていなかったんです。
大橋:確かに、顧客の顧客にまではなかなか具体的なイメージを持てず、その結果、誰に向けて訴求すべきかを見失ってしまうことは多々起こりますよね。しかしそこで「だったら自分たちでコンセプトカーをつくってみよう」という実行策が動き始めたところが画期的だと思います。
宇高:「オートモーティブ事業推進室」としてプロジェクトがスタートしたのは2016年4月。無謀ですが、2017年5月の展示会にコンセプトカーを展示することが目標でした。
「OEMの人たちに見てもらいたい」「全社横断的にコンセプチュアルな取り組みに挑戦したい」という二つの原動力を元に走り始めました。
大橋:まったく新しい事業を手探りで進めていくにあたり、メンバーに従来所属していた事業の仕事とはちがう“全社横断的なプロジェクト”なんだという意識を根づかせていくには、どのような働きかけをされたのでしょうか。
宇高:時間をかけて、行動しながら意識づけていきました。当初、オートモーティブ事業推進室に所属していたのは、私を含めて7名。出自も年齢もバラバラで、最年少が20代後半、最年長が50代前半というダイバーシティに富んだ組織だったんです。そして、誰一人として自動車の車体をつくる知識は持っていない状態でした。
その中で叩き込んだのは、このプロジェクトが「旭化成の自動車関連事業の売上を伸ばす」ことを目標に据えた重要なものであるという意識でした。そこでまずは、自分たちがやってきたことを紹介して理解し合い、そのうえでさまざまな事業部に出向き話を聞いてくる、という順番で進めていきました。
大橋:まずはメンバーによる社内ヒアリングから始められたんですね。
宇高:そうです。自動車以外のマーケットに製品提供している事業部にも、研究開発本部にも話を聞きに行き、情報を集めてきては部内でシェアする。その繰り返しの中でメンバーは、自分が携わる事業をピンポイントで見ていた状態から、横断的に視野を広げていったんです。
もうひとつ、私自身が実践していたのは、毎月全社の業績を共有することでした。目指す最終目標が「旭化成の自動車関連事業の売上を伸ばす」なので、注視する情報も旭化成全体の視点で考えるべきだという思想です。地道な積み重ねですが、少しずつ全社横断的に考えて動く意識づけを図っていきました。
時勢を味方につけ、自動車業界におけるプレゼンス向上へ
大橋:多くの企業では、全社横断的な展開は「あるべき論」や理想論から入りがちです。しかしこのAKXYプロジェクトでは、「全社横断的にやりたい」だけではなく、「このプロジェクトを成功させるために全社横断的にやりたい」と、非常に目的が明確化されていたのだと感じました。
宇高:加えてマーケティングの意義を全社に根づかせたいという目的もあり、その実現のためにコンセプトカー開発というシンボリックな活動をする。これは効率的かつ不可欠な手段だったと思っています。
また、当時の副社長と専務のバックアップも大きかったです。単一事業ではなく会社全体に対する責任があるので、客観性が増しますよね。さらに、オートモーティブ事業推進室はどこの事業部にも紐づかないスタンドアローンで、だからこそ全社を見渡して活動できました。
大橋:AKXYプロジェクトの最終的な結果はどうなったんでしょうか?
宇高:EVメーカーのGLMとの共同開発で、予定通り2017年5月に完成発表会を行うことができました。AXKYは、いわば新しい事業領域での伸長を目指そうという想いと、全社横断的な連携の成果を具体化した象徴です。どの事業部の社員の目にも、自動車関連事業における可能性と連携の価値を明らかに示せたと思います。また、OEMの方から、プライベートな展示会であるテックデーに声が掛かるようになるという成果もありました。
個人的に最も価値ある変化だと感じたのは、社内に「事業部を超えて取り組んでみることに価値がある」との認識が生まれ、コミュニケーションが活発化したことです。旭化成は自動車に関して本当に多様な製品を保有していて、連携すればクロスセルもできるんじゃないか、という発想のトリガーをつくれたのは、非常に大きな成果でした。
マーケティングの本質を肌身で学ぶ好機に
大橋:今回のAKXYプロジェクトを通して、宇高さんの観点で感じられた新しい価値や変化はありましたか?
宇高:会社において、マーケティングという感覚を持つためのきっかけになったと思います。もともと、マーケティングの重要性自体はある程度認識されていたと思いますが、AKXYプロジェクトを経て、セールスとは異なる感覚を持つことの大切さが明確化しました。もちろん、本音を言えばもっとマーケティングの取り組みを実行するフェーズまで進めればよかったのですが、最初の一歩にはなったと自負しています。
大橋:プロジェクト終了後は、メンバーの皆さんはまた事業部に戻られたのですか?
宇高:異動先は多様です。事業に戻ったり、アドミンや海外などまた違う部門に移ったり。そもそも、この部署に長く居させることはしない、と最初から決めていたんです。優秀な人材ほど囲い込みたくなるものですが、むしろ逆に、優秀な人材ほど外に出していこうと考えていました。せっかく外の世界を学んで新しい視点を身につけたのだから、それを活かしてどんどん新しい場所で活躍してほしいですからね。
熱意があって広い視野も持っている人は、どの会社にもいらっしゃると思いますよ。ただ、それを発揮する環境や仕事にまだ出会っていないだけなのではないでしょうか。
大橋:秘めたる可能性を開花させられる場所にいないだけ、と。
宇高:もちろん、新規事業や挑戦だけでは、企業は立ち行かなくなります。事業のサイロ化と言われることもありますが、基盤となる事業があるからこそ収益が生まれるのであって、既存事業が企業の根幹であることは間違いありません。しっかりとした礎があったうえで横断的な新しい挑戦にも拡大していければ、ビジネスモデルの転換や新領域への進出が叶うわけです。どこでどんな機会に巡り合うかわからないからこそ、広く外を見つめる目線はいつでも誰でも持つべきなのではないかと思っています。
責任と権限を持つCMOが求められている
大橋:今回は自動車がテーマでしたが、たとえばそれがロケットであれドローンであれロボットであれ、市場を見つめて戦略を描き、経営陣が旗振りをして全社的に引っ張っていく具体的な動きがあって初めて、意識なり行動なりが変化していくものだと思います。そして、特に大きな企業になればなるほど、具体的な取り組みと推進力がない限り、変わっていくのは難しいですよね。
宇高:個人的には、CMOの必要性が高まっていると感じます。メーカーはどうしても事業や製品軸で物事を考える傾向が強いので、この製品をどうやって売るか、どの市場で売るかという発想に偏りやすい。だからこそ、現状を一歩離れてこれから伸びる市場はどこか、自社製品がマッチする市場はどこかという考え方をするポジションが必要なんです。
且つ、その結果として生まれた戦略やアクションに権限と責任を持てないといけないので、単なるマーケティング責任者ではなくCMOが必要なんですよね。実際には、CMOがいる日本企業はまだまだ少ないのが現状ですが……。
大橋:まさしく、それは日本企業全体の課題ですよね。ちなみに、CMO然りこうした全社横断的な取り組みを率いるうえで、メンバーやリーダーに求められる資質やマインドはどんなものだとお考えですか?
宇高:まず、リーダーに限らず誰しもに必要なのがコミュニケーション力です。たとえば、オートモーティブ事業推進室のメンバーには、日ごろから「外の世界を知ってこい」と言っていました。“外の世界”とは、自部署以外のすべてであり、たとえば社内の管理部門もあれば、同業他社も含みます。自動車産業以外も“外”であり、コミュニケーションを通してどんどん外を見ていくように伝えていました。
また、リーダーに必要なのは“社内政治力”とでもいうべきものでしょうか。責任があるだけではなく、権限も持っていなくてはいけません。つまり、ヒトとカネを動かせるだけの権限があり、率いるメンバーに対してはもちろん、経営側に対しても間接的な関係者に対しても広くアンテナを張ってコミュニケーションができ、しかも信頼関係を築けていることが重要です。
大橋:いわば、上・下・横と多方向に対する影響力や誘因力がなければいけない。きれいごとだけでは物事は動かせませんからね。新規事業や事業横断といった取り組みには、2つの軸があるのだと思っています。1つは戦略とアイディアを信じること、もう1つは宇高さんの仰るとおり、率いる人を信じること。マーケティングの文脈では、経営陣側に戦略の有効性を判断する知見が限られているケースも多いので、そうなればやはり、人を信じてプロジェクトを動かしていくのが正解になるのだろうと思っています。
宇高:そうでしょうね。特に新規事業では、最初の段階から戦略の正当性を判断するなんてことはほぼ不可能なんです。だからこそ、人を信じることを続けながらも、戦略自体をアジャイルで変えていくフレキシビリティも欠かせないと私は考えています。
大橋:AKXYプロジェクトは旭化成にとって既存事業の「深化」であり、より新しい展開を目指す「探索」でもある。実にチャレンジングな取り組みであることに、今回改めて気づかせられました。想いを具現化して全社の意識や行動の変革につながった事例であり、個人の意識から全社横断的なものの考え方に変えていった成功例として、多くの企業にとっても多くの学びがあると思います。本日はありがとうございました。
対談のまとめ
全社横断、横串を通すためのプロジェクトを立ち上げるという話を、大手のメーカー様からお聞きします。一方で、同じ企業において、新たな横串のためのプロジェクトが立ち上がったということもよくあります。つまり、前回の横串プロジェクトが思うように機能しなかったため、新たな横串組織を立ち上げた、ということなのです。
既存の事業部組織制の枠組みでは、なかなか関係者全員の利害一致ができるような横串策を作ることは難しい。しかしながら、その現実を十分に踏まえた上で、「大義」「事業部の利害を超えた視座での判断や後押し」「リーダーの情熱と資質」、これらが揃うことで、(利害が完全に一致していなかったとしても)実効性のある横串機能が実現可能なのだという、好事例ではないでしょうか。
プロフィール
宇高 道尊
旭化成株式会社 モビリティ&インダストリアル事業本部
モビリティマテリアル事業部長 理事
1992年 旭化成工業株式会社入社。1992年~2014年 電子材料、半導体材料の国内外の営業/マーケティングなど。2014~2015年 経営戦略室。2016年~ オートモーティブ事業推進室長。2019年~ マーケティング&イノベーション本部マーケティング統括部長。2023年より現職。
大橋 慶太
マーケットワン・ジャパン合同会社 執行役 ビジネス開発管掌
BtoB企業のマーケティング・コンサルティングに15年以上従事。大手製造業向けに、マーケティングを軸にした新規事業探索、デジタルトランスフォーメーション等の戦略立案と実行支援のアドバイザリ役を務める一方、日本におけるマーケットワンの事業開発を管掌する。日本アドバタイザーズ協会 デジタルマーケティング研究機構BtoBマーケティング委員会の委員長