社会や時代が激変する中、企業が持続成長を続けていくには絶えず新しい挑戦を続けていかねばなりません。事業領域の拡大や転換も、有用な手立ての一つです。
今回お話を伺ったシャープ株式会社は、世界に名だたる家電メーカーの1社ですが、2016年からAIとIoTを組み合わせた「AIoT」を提唱し、モノ売りからサービス分野へ、そして更にBtoC向けAIoT事業をBtoBへとビジネス領域を拡大する挑戦を続けてきました。
両利きの経営でいう確たる実績と技術をベースとした「深化」の領域から、いかにして「探索」の領域に踏み出していったのか。同社のSmart Appliances & Solutions事業本部 AIoT事業推進部 部長の中田 尋経さんに、これまでの挑戦のプロセスや課題、いかにして挑戦をドライブさせていったのかなど、事例を交えて伺いました。
目次
必然の元に生まれたAIoT推進の壁は“新しさ”だった
大橋:シャープでは製品とITを組み合わせたAIoTを掲げられていますが、まずはその考え方について教えてください。
中田:AIoTとはAI(Artificial Intelligence:人工知能)とIoT(Internet of Things:モノのインターネット)を組み合わせてシャープが作った造語で、単にモノがインターネットに接続してデータをやり取りするだけでなく、人工知能によって学習し、使う人に合わせて最適化し、機器の方から能動的に寄り添うシステムを目指しています。
大橋:いつ頃から提唱されているんでしょうか?
中田:2015年からです。2000年代後半にスマートフォンが登場し、通信機器の主軸は携帯電話からスマートフォンに移り変わりました。端末自体も劇的に進化したものの、それ以上に大きな変化だったのは、これまでパソコンでしか使えなかったインターネット上のサービスが、いつでも誰もが手元で使えるようになり、Webのその先にあるサービスの価値が飛躍的に高まったことです。
大橋:多くのメーカーが通信キャリアと組んで携帯電話本体の性能で差別化を図っていた時代と違い、スマートフォンのプラットフォームが2強に絞られたことで、差別化の主戦場がスマートフォン上で動くLINEやSNSなどアプリケーション、サービスに変化してきた時代ですよね。
中田:まさしくそうです。IoTというアイディアが世に定着し、さまざまなモノがインターネットとつながるようになりました。その潮流の中でシャープが主役にすべきは、人々が毎日自然に使うもの、それはやはり家電だろう、と。生活家電をIoT化し、家電ならではこその新しい価値を生み出すという方向に、次なる活路を拓くことを目指すことにしました。そのコンセプトとして掲げたのがAIoTでした。
大橋:家電のIoT化は、合理的かつ論理的なアイディアだと思います。実際に事業展開のレベルに落とし込むフェーズは、スムーズに進んだのでしょうか?
中田:最初はなかなかうまく回りませんでしたね。そもそも、家電は用途も機能も多くの人にとって明らかなモノです。たとえば、冷蔵庫は物を冷やす、テレビは番組を視聴するといったように、お子さんからお年寄りまで共通認識がありますよね。ゆえに、通信技術をつなげて家電で新しいことができると言っても、「いやいや、現状で満足しているので……」と、使い手のモチベーションはそう簡単に上がりません。
大橋:なるほど。でも、それは使い手だけに限らず、きっと作り手も同じですよね。
中田:その通りです。AIoTの「人に寄り添うIoT=普段通りに使っているだけで家電が『もう一人の家族』のような存在に最適化していく」というコンセプトが定まり、いざ動きだそうとした時にネックとなったのが、社内の意識変革でした。冷蔵庫や洗濯機をIoT化し、たとえば声を発するようになったとして「それでどうなるの?」「そもそも何で家電に喋らせるの?」という社内の懐疑的な意見の壁に突き当たったんです。特に、従来の家電の性能を高めるために、その道の技術や仕様を長年培ってきたベテランである技術や企画に携わるメンバーほど、その違和感が大きかったですね。新しい挑戦の必要性は理解していながらも、歴史が長いだけに動き出しづらかったと思います。
大橋:ですが、既存事業を営んできたなかでも、新しい技術やアイディアの吸収は常に必要だったと思うんです。でも、AIoTに関してはそのハードルが高かった。それは、既存事業という深化の領域ではなく、新しい探索領域への転換だったからでしょうか?
中田:そうですね。「目の付けどころがシャープでしょ。」という企業スローガンを掲げていたように、新しいものを取り込む柔軟性や挑戦への姿勢は、もともとシャープのDNAとして存在していました。他社と比べても事業部間の壁はかなり低く、製品や事業の違いを問わずコミュニケーションも活発です。でもそれは大橋さんのおっしゃる通り、既存事業の領域、既存事業の線上にある場合の話。まったく新しいフィールドに一歩踏み出す変化を起こすのは、率直に言って大変でした。
外の血を取り込む決断と実践が変化への突破口に
大橋:ブレイクスルーのきっかけは何だったんでしょう?
中田:2016年に鴻海精密工業グループの傘下に入ったのは、大きな転換点です。外資企業らしく、良いと判断されたことはトップダウンでそれまで以上に即決断・即実行という新しい文化が入ってきました。当時、当社は業績が思わしくなく、既存のやり方を維持するだけでは先行きが見通せなかった。最初から王道の確実な成功を狙いに行くだけでなく、まずは新しいことは可能性を試してみて、結果を見て軌道修正しながら進化させて行こうというアジャイル的なスタンスに変わったんです。
AIoTをコンシューマ領域からビジネス領域に本格的に推進するためには、更に改革が必要です。そのためAIoTを活用した新たなプロジェクトのリーダーも外部から採用しました。AIoTは単なるモノではなく、価値を生み出すサービスです。我々はモノ売りのスタイルで何十年とビジネスを営んできたがゆえに、いわゆるコト売りの分野に長けている人材は非常に少なかった。だからこそ、外の目線や価値観がどうしても必要でした。
それに、異なる視点や発想を持った人材が外からやってくると、既存のメンバーにも新しい気づきが生まれます。さらに、鴻海流の即決断・即実行という文化もうまく噛み合い、気づく・方向を選ぶ・進み方を決めるといったアクションが効率化されたAIoTの推進は、新しいビジネスとして回り出しました。自社の強みや文化は大切ですが、それだけでは乗り越えられないフェーズもあるのだろうと思っています。
大橋:深化の領域に携わる方は、その深さ、同じ領域の仕事をしている長さゆえに違う視点を持つのが難しい。だからこそ、外部の視点や思想を取り込む意味が大きくなるのでしょうね。
BtoBへの進出——はじまりは、発想の転換から
大橋:ビジネスとしてAIoTを推進・普及していくにあたり、特に家電分野におけるAIoTをBtoCで事業展開されてきた御社にとってBtoB分野へのAIoT事業への進出は大転換でした。新しい領域で新しいサービスの展開となると、難易度は非常に高かったと思います。
中田:AIoTのベースの考えはオープンプラットフォームの思想で構成されています。わかりやすく言えばシャープ製以外の家電や製品、そしてクラウド上の様々な他社様のサービスにも、積極的に、柔軟に対応できる仕組みにしていこう、ということです。現実的に、家の中にある家電が全部シャープ製だという家庭はなかなかありません。それに、イエナカには家電以外にも給湯器や電動シャッター、インターフォン、電子ロックなど、IoTで統合できるものはたくさんあります。そのため、最初からシャープ製品以外も含めてインターネットでつなげることを前提に考えていました。オープンプラットフォームでのサービス普及こそ、BtoB、ゆくゆくは自治体や行政などのBtoGをも視野に入れてビジネスやサービスを広げるカギになると見込んでいましたから。
大橋:いわゆる家電メーカーでは、例えばTVなど既に消費者の中で用途や必要性が固まっているモノに対して技術を高め機能を増やしハイレベルなせめぎあいを行う、消費者はTVという既に価値観が確立している製品の機能に対して対価を払う、というビジネスのフィールドでした。
それに対し、AIoTをBtoB領域で展開するとなれば、自社特有の技術そのものの勝負ではなく、まずAIoTにどのような価値があるのかを訴求するところからのスタートです。価値観を訴求し、そこに意味づけし、伝え、理解されて初めて売れる180度違うビジネスを推進する必要がありますよね。
中田:以前から法人向け事業自体はあったものの、機能や価格だけではなく新しい価値提供の訴求、確立をどのように行うべきかという課題が顕在化していました。社内で培ってきたBtoCの知見だけでは解決が難しい壁に直面していた時に、マーケットワンさんとのご縁があってアドバイスをいただきながらBtoB領域のAIoT事業開拓に踏み出すことになりました。
大橋:そうでしたね。冷蔵庫やテレビなど、用途もニーズも確立した状態の中で“シャープらしさ”という独自性を打ち出すのがBtoCでの戦い方です。一方で、AIoTでは、それがシャープ独自のサービスであったがゆえに、そもそも提供価値やニーズに関して、社内外の共通認識も共通した理解もつくれていなかった。「シャープのAIoT」という独自性を伝えていく前に、AIoTというサービスそのものの価値の訴求から始めなければならならないという、発想の転換が第一歩でした。AIoTという仕組み、サービスがあることでどんなメリットがあるのかを具体化する。家電で言うと、用途をきちんと定義するというところから進めましたね。
中田:今、具体化が進んでいる例で言うと、中小企業のスモールオフィス向けに空調を集中管理するソリューションシステム「SMART CONSOLE」の提供を開始しています。BtoC用のAIoT対応エアコンや空気清浄機などをインターネット経由でわかりやすいUIを持った空調管理システムにつなげるソリューションで、介護施設業者様などからお聞きした「IT関連に詳しくないスタッフでも、管理を一元的に、簡単に行いたい」、「導入コストは抑えたい」というニーズに対して、AIoTの仕組みによるメリットの具体化が形となり始めています。
大橋:介護施設での利用というのは、最初から想定していたわけではなかったんですか?
中田:サービスの価値提供を模索している時に、介護施設では法人用オフィスの特別な工事が必要な空調機器はコスト的に導入しづらいことや、在宅介護なども含め遠隔で空調管理ができれば、危険な空気環境をいち早く察知し、すぐに空調を快適な状態でコントロールすることで大事に至る前に救命につながることなどが、ヒアリングを通して明らかになりました。市場リサーチからマーケットワンさんのアドバイスを頂き、ニーズをしっかりとサービスに反映できた好事例として、更なるサービス向上を目指し改善を進めています。
大橋:他にも、新しい領域に踏み出すことによって、実感したことや、今までのやり方を変えたことはありましたか。
中田:AIoTの推進における主戦場はデジタルの世界、しかも競争相手は大手企業様だけではなく、スタートアップ企業様も増え、従来のビジネス開発のスピード感では追いつかないと感じています。従来型の既存市場内での競合相手は大手家電メーカーで、いうなればアナログと経験の世界。モノづくりに必要な技術や機構はノウハウの塊なので、一朝一夕で勝負がひっくり返ることはそこまでありません。しかし、BtoB×デジタルサービスは想像を絶する速度で変化する、これまでのシャープにとって新しい領域。スタートアップ企業様などと同じ土俵で、しかもAIoTというテクノロジーで戦うには、従来とはまったく別物の視点、考え方やスピード感が必要になります、その意味でも、先ほど申し上げた通り外の血、外の価値観をうまく取り入れるのが大切だと痛感しています。
メーカーの矜持とAIoTの未来 手ざわりのある実感が響いた先に
大橋:あえてお伺いしますが、AIoTの推進は、メーカーとしてのそれまでのアイデンティティの否定を意味する可能性もあり、諸刃の剣だと思っています。オープンプラットフォームでどの会社の製品でも利用できるサービスが定着すると、モノの機能やスペックの価値は相対的に下がっていきます。極端に言えば「シャープ製のフルスペックじゃなくていいから、もっと安くしてほしい」というニーズが生まれるかもしれません。サービス業の観点で言えば、それはごく自然な流れです。
自社製品自体の価値を高めることで競争に勝ってきた、製品自体の価値で勝負するグッズドミナントロジックから、サービスの価値は企業と顧客が共に創造するサービスの価値創造を行っていくサービスドミナントロジックのフィールドで勝負していく、AIoTの領域では求められる価値観の大きな転換が求められます。良い製品、新しい製品を作ることで価値を広げてきた会社が、自社以外ともコラボレーションして顧客と価値を創造するサービスドミナントロジックの会社に転換しようとしているジレンマをどのように受け止め、クリアしていくべきとお考えですか。
中田:AIoTによって、我々は実利用に基づく新しいデータをリアルタイムで把握できるようになりました。たとえば、1日に何回冷蔵庫が開け閉めされているかがわかり、その時間帯も計測できる。オーブンレンジの利用回数も温め方も正確にわかりますし、エアコンの作動時間や温度設定の把握も同様です。
でも、そのデータ単体に対しては、お金を払って入手したい人や企業は現時点ではなかなかありません。しかし、データを分析した結果を、その利用者に最適な新しいサービスという形で「家電からアウトプットする手段を提供」し続けることができれば、数年使っても家電の価値は下がらないし、だからこそ「もう一人の家族」のような存在として、それぞれの人に寄り添い、役立つ情報を伝えるモノになりうる可能性がある。
つまり「AIoT家電は自分に適した情報やサービスを届けてくれる」と認知されれば、家電そのものの在り方、価値自体がサービスドミナントロジックに変化していくでしょう。そうなれば、スマートフォンが普及した時のように、やがて必然的に業界自体も変わっていくはずです。大橋さんのご質問に答えるのであれば、サービスに対する使い手の認知や理解、モノやAIoTに対する作り手の向き合い方という両方が並行して変わっていくことこそが、ジレンマを突き破る進化に必要なんだと思います。
大橋:だとすると、インターナルマーケティングのように、社内の意識を変えるための働きかけも重要になりますね。トップが本気の姿勢を見せる、意義を真摯に発信し続けていくといった取り組みはもちろん、第三者の声や客観的な事実を具体的に伝えることも効果的だと思います。
中田:はい。まさしく、2023年2月から3月にかけて、防災科研様、茨城県つくば市と行った防災情家電発話の実証実験は、AIoT家電の可能性を具体化する第一歩となりました。インターネットにつながった家電が喋る機能を活用することで、普段は通常家電として使っている機器から、非常事態には危険な地域にお住まいの方に避難勧告情報を音声で伝えられます。テレビをつけていない夜中でも、スマートフォンが手元になくても、家電からも避難情報を届けられれば、1人でも多くの人の命を救えるかもしれません。
大橋:行政が主語の文脈で取り上げられることの意味も大きいと思います。自社が主語の文脈で、どんな機能で価格はいくらで……、と説明するのではなく、社会に新しい防災サービスを送り出すことになった裏側を支えているんだ、という見え方がいいですね。
「当社の製品はこんなにすごいんです」と伝えても、なかなか利用者は買ってくれません。「社会課題に対してどんなふうに貢献し、どうやって支えているか」というストーリーテリングの重要性は、近年より一層高まっています。特に、BtoCの企業が新たな探索領域としてBtoBでのビジネスを推進するうえでカギになる好事例です。
中田:確かに、社内からも「クラウドからの音声発話機能を搭載しておいて良かった」「こういう取り組みが新しい価値を産むんだとわかった」という声が聞こえるようになりました。メディア各社様のニュースで取り上げられたことで、自分たちの開発した技術が新しいサービスとして本当に世の中に受け入れられるんだと実感できた事は、担当したメンバーの中で大きな励みになり、より新しいサービスを生み出して行こうという次の原動力になってきています。大橋さんのおっしゃる通り、客観性や具体化は社内の機運を変える起爆剤になりうると思います。
大橋:こうした事例や発信が積み重なっていくプロセスで、AIoTの価値や新しい家電の在り方の解像度が上がっていくんだと思います。最後に、今後のAIoT事業の展望をお聞かせください。
中田:家電の分野でのAIoTの目指すところでは、「もう一人の家族」という言葉が象徴する通り、AIoTを通して生活を楽しくする、便利にするという価値提供が、使う人々の生活を豊かに、笑顔にしていく、それが我々の掲げる大きな方向性です。主役となるのは家電ではなく、あくまでそれを使う一人一人の生活です。単なるモノではない“人に優しい存在”、“サービスとのタッチポイント”として、新しい家電の在り方をかたちづくっていきたいですね。
たとえば、スマートフォンの普及は人とインターネットサービスの距離を急激に縮めました。一人ひとりの手元に、常にインターネットとつながっている状態を実現したからです。最初はサービス利便性の向上に役立っていたスマートフォンが、やがて人同士の理解や社会とのつながりを深めるモノとして変化していったように、AIoT家電もいずれは家族の結びつきを守る、安心できる暮らしをサポートするものへと役割を進化させていきたい。将来的には、家電だけでなく家全体が生活のパートナーになる時代が訪れるかもしれません。もちろん、それを当社だけでやりきるのは難しいので、外部企業様との連携や協力を得ながら、チームプレーで作り上げていきたいと思います。
大橋:本日はありがとうございました。
対談のまとめ
日本を代表する家電メーカーであるシャープ社が、グッズドミナントロジックからサービスドミナントロジックへの競争ルールの変化に直面した中で、どのように変革をしようとしているのかを伺いました。
深化の領域で強かった企業ほど、探索領域に飛び込んで行くのは難しいものです。日本を代表する家電メーカーであるシャープ社だからこそ、多くの挑戦や困難があるであろう、BtoCからBtoB、アナログからデジタル、グッズドミナントロジックからサービスドミナントロジックへの複合的な変革の挑戦は、深化の領域に強みを持つ多くの企業にとって示唆に富んだヒントが多く得られるものだと確信しています。
プロフィール
中田 尋経
シャープ株式会社 Smart Appliances & Solutions事業本部 AIoT事業推進部 部長
1990年入社。ファクシミリ業界初のコードレスイメージスキャナ(UX-5)開発等、情報通信機器ソフトウェア開発を経て、ザウルス、携帯電話、スマートフォン等の商品企画を担当。
2015年より、オープンにクラウド上のサービスと連携可能なシャープ白物家電のAIoT化推進リーダーとして現在に至る。
大橋 慶太
マーケットワン・ジャパン合同会社 執行役 ビジネス開発管掌
BtoB企業のマーケティング・コンサルティングに15年以上従事。大手製造業向けに、マーケティングを軸にした新規事業探索、デジタルトランスフォーメーション等の戦略立案と実行支援のアドバイザリ役を務める一方、日本におけるマーケットワンの事業開発を管掌する。日本アドバタイザーズ協会 デジタルマーケティング研究機構BtoBマーケティング委員会の委員長