2020年代は、多くの企業が新規事業や新規市場の探索を目標として掲げており、各社の決算報告書を見ると、「探索」という言葉が頻繁に見受けられることからもそれは明らかです。各社、既存のビジネスの枠に留まらず、新しい領域への進出を模索している状況でしょう。
この動きには、「新しい技術や自社の強み、既存製品や技術を活用して、新たな市場を開拓したい」など、各社一様の思惑が垣間みえます。
そのなかで、市場トレンドや(まだ見ぬ)顧客ニーズからヒントを得ようと、多岐にわたるマーケティング活動を実施している企業も増えており、その取り組みの全体像はこれまでの当社が運営する本インサイトの中でも解説してきました。
マーケットワン・ジャパンでもクライアントの活動を支援、伴走してきましたが、多くの企業でマーケティング活動の実行が着実に進みつつあると感じています。
一方で、実行が進んだ次のフェーズのチャレンジとして、「取得した情報をいかに活用するか」がキーワードになる場面も散見されるようになってきました。
そこで今回は、市場情報を活用する上で必要な考え方や、具体的な進め方について論考します。
「顧客の声」の重要性と、取りまとめることの難しさ
マーケティングで新規領域の探索活動を行う際、多くのケースでは各シンクタンクなどが発表するマクロレベルのマーケティングリサーチや市場調査データを活用するでしょう。
一方で「それらはあくまで公開情報である」「自社の市場開拓・製品開発・技術開発に求められる“具体的な”情報を取得できるか」についても、他社と差別化を図る上では踏まえておかなければなりません。
例えば、当社マーケットワン・ジャパンに依頼が来る多くは、いわゆる「VoC(ボイス・オブ・カスタマー)」と呼ばれる、顧客の直接的な「声」を重視し、マーケティング活動を通じて、「直接顧客と繋がること」による情報の取得を主な目的としています。
マクロの市場動向や各産業の成長率などの情報は、将来トレンドを把握する上で非常に価値があります。しかし、自社の技術や製品を市場に適応させるためには、顧客やクライアントからの具体的なフィードバックが不可欠なのです。
この背景を受けて、顧客のフィードバックを取り入れながら継続的に開発を進める手法として「MVPの概念を活用した開発アプローチ」を製造業は顧客の「潜在ニーズ」をどうやって新規事業・研究開発に活かすべきか?でも解説しました。
しかし、VoCなどの顧客情報は、一般的な定量分析をする上での「サンプル(n)数」として十分でないケースも多いのが現実です。
これは「実際にヒアリング可能な顧客の数がどうしても限定されている」「営業チャネルなどで直接アプローチをするとしても“新規の探索”に即した情報を得られる顧客の数も限られる」といった実情があるためです。
このような背景のなか、限られたサンプルデータをもとに、得られたインサイトを最大限に活用することは、新規事業の探索において重要な要点といえるでしょう。
さらに顧客の声を集めていく上で問題となるのが「多種多様な顧客の意見が寄せられる」場合です。これは、いわゆるプロダクトマーケティングとも呼ばれる、製品開発を推進するマーケティングの担当者を悩ます課題の1つでもあります。
各顧客からの意見や要望をピックアップして対応する場合、「それがどれほどのインパクトをもたらすのか」を算出するよう求められるケースは往々にしてあります。
つまり、マーケティングとしては経営陣からの「で、それがいくらになるの?」の問いに答える必要があるのです。
新規事業では、自社に知見がたまり切っているわけではないため、その算出がさらに難しくなる場合も多いでしょう。
以上を踏まえて、次項より市場情報を活用する際に重要な考え方を3つ紹介します。
①:市場探索プロセスと分析アプローチ
このような状況で新規領域の分析を進める際には、「分析だけ」を考えるのではなく、探索の実行前工程である「仮説出し」からの一連の流れを踏まえて捉える必要があります。
市場調査から新しい示唆が出ることもありますが、多くの場合は自身の立てた仮説の検証という形をとっていかないと、どうしても発散してしまい、「何を軸にして良いか」がわからなくなってしまうためです。
そのため、実際の分析に入る前は以下の工程が欠かせません。
- 手順1:技術や資産の棚卸しと深い対峙
- 手順2:顧客価値を起点とした 「自社価値」の再考
それぞれ、個別に解説します。
手順1:技術や資産の棚卸しと深い対峙
最初のステップとして、自社が保有し、新たに生み出そうとしている新規事業や製品、技術に深く向き合いましょう。
市場調査の際では「顧客視点」の盛り込みも重要ですが、まずは自社のポートフォリオとの適合性や、自社技術の延長で出来ることを考える必要もあります。いわゆる新規事業における「飛び地をできるだけ避ける」という考え方です。
そのため、自社の製品や技術と向き合い、「その技術がどのような強みや革新性を持つのか」をあらためて棚卸しすることが大切です。
手順2:顧客価値を起点とした 「自社価値」の再考
次に、「自社価値」とは何か、顧客価値を起点として考える必要があります。例えば、製品や技術が価値を持つというよりも、「顧客に活用されて初めて価値が生み出される」とのマーケティング上の考え方があります。
「顧客」と一言にいってもさまざまなニュアンスが内包されるため、地域・市場やサプライチェーン・具体的な企業名などへの落とし込みをしながら、「自社にとっての顧客が持つ意味」を明文化する必要があります。
その上では、3つのコンセプトで考えるBtoBマーケティングのペルソナ設計で解説しているように顧客課題やニーズの仮説を立てることが大切です。このプロセスが重要である理由は、我々が持つ情報やアイディアが「最初はあくまで仮説に過ぎない」からです。
仮説がない状態で、多数存在するデータや情報、顧客の声(VoC)を集めようとすると、「どれが有益なのか」の選別が難しくなります。
そのため、仮説を基にして差異を識別していくアプローチは、データや情報の海の中で迷子にならないための第一歩として重要性が増しているのです。
②:分析における定量的・定性的情報の活用
「分析」というと、多くの場合、現存する「定量的なデータ」を中心に行われると想像しがちです。上記で述べた市場調査レポートにある市場成長率などが最たるものでしょう。
しかし、私たちの身の回りに存在するさまざまなキーワードや、顧客が熱心に語る特定のポイントなど、「定性的な情報」も非常に重要です。
要因の1つとしては、BtoBビジネスにおけるVoC獲得では十分な情報が集まりづらいことも挙げられます。
そのため、定性的情報を定量化し、分析に活かすことで、情報が限られている新規事業探索においても有意義な結果を引き出せるようになります。
以下より、定性的な情報を定量化した事例を紹介します。
定量化の例: 福島第一原発の真実の分析
2011年の東日本大震災後、福島第一原発はメルトダウンの状況に陥りました。この深刻な事態に関する詳細が、NHKの取材班によって『福島第一原発の真実』という書籍で解明されました。
同著では、最前線で指揮を執っていた吉田元所長の意思決定の過程や当時の厳しい状況が、会議の音声データを基に詳細に分析されています。
取材班は、発言中の「どもり」「言い間違い」の部分を特に注視して詳しく調査しました。AI技術も用いられ、会議の内容だけではなく「えー」などの言葉の合間の言葉まですべて書き起こし、どのような頻度でこれらの特徴が出てきたのかを識別しています。
分析の結果、極限の状況下での疲労蓄積や、長時間にわたる指揮の中でのストレスなどが、言葉の中から浮かび上がってきました。加えて、危機管理時に必要とされる指揮系統やバックアップ体制などの課題についても提言されています。
この事例から学べるのは、具体的なデータが存在しないなかでも、適切なインサイトを基に分析や調査を進めることができる点です。
もちろん、事故時の音声や動画のデータが存在したことに加え、AIが活用できた点は大きな助けとなっているものです。
これはビッグデータ解析というニュアンスも強いですが、一方で最初の着眼点=仮説 がなければ、この分析結果には至らなかったともいえるでしょう。
ここまで大きい分析を、各組織で行うことは難しいことが実情ですが、「データと向かい合っているだけ」では仮説は生まれないといえます。
③:仮説と実際のデータの比較
事前に設定した仮説と、実際に得られた情報やデータの比較は非常に重要です。これらのデータは、具体的な分析データだけでなく、営業からの定性的なフィードバックや頻出するキーワードなどでも検証が可能であるためです。
この比較を通じて、「当初の仮説がどれだけ実情に合致していたのか」という差分を明確にすることができます。
しかし、このアプローチには問題点も存在します。仮説に当てはまらないデータに対しては検証が難しいため、仮説が外れてしまうと求める結果を得ることが難しくなるのです。
とはいえ、新規事業に向けた探索の際、このようなチャレンジは避けて通れないものです。たとえ仮説が実情に合わなかったとしても、それは重要なインサイトとして受け取る必要があるでしょう。
「深化」といわれる既存ビジネス領域での失敗は、ネガティブかつ大きな事業インパクトを生んでしまいます。一方で、「新規領域での失敗」は一定のリスクとして認識し、受け入れる姿勢が必要です。
「ニーズが存在しないことがわかった」という結果も、見方を変えれば次に進む上では重要なインプットとなり得るのです。