2020年代は気候変動への対応やAIの台頭など、世の中が大きく動いていますが、そのような時代背景から、製造業にも自社の生き残りをかけたイノベーションの創出が求められています。
当社作成のホワイトペーパー“新規事業探索”に必要なBtoBマーケティングのあるべき姿では、自社事業の「深化」と新規事業の「探索」を両利きのように、両立するあり方の経営理論である「両利きの経営」に関して解説しました。
新規事業・新規製品を創出する上では、自分たちが保有する技術やポートフォリオといった、「自社シーズの視点」だけでなく、ビジネスアイデアや顧客ニーズ(特に潜在的なニーズ)のような「市場の視点」も重要です。
「日本はマーケティングが弱い」といわれて久しいですが、顧客の潜在ニーズをつかみ、自社のシーズの橋渡しとなるマーケティング的な取り組みが、今こそ製造業にも求められているといえるでしょう。
今回は、「新規事業・技術開発」を進める上で、顧客が抱える潜在ニーズを取り込む方法を、「MVP」の概念を用いて解説します。
目次
日系製造業が抱える研究開発における課題
そもそも、日本の製造業は研究開発のあるべき姿とは、どのようなものなのでしょうか。
参考までに、経済産業省の『平成26年4月 産業構造審議会 産業技術環境分科会 研究開発・評価小委員会 中間とりまとめ(素案)』を参照すると、日本の大企業には以下のようなケースでは新規事業・研究開発に対して消極的になる傾向があるといわれています。1
- 一定の技術シーズを活用した市場規模のなさ
- 企業規模を考慮した採算性の悪さ
- 企業に対する社会的評判の毀損リスク
など
経済産業の言説では「市場規模のなさ」が述べられていますが、そもそも市場規模の大小は自社製品や技術の、「想定されうる用途・ユースケース」によって大きく異なってきます。
そのため、「市場規模のなさが明確」というよりも「そもそも顧客の状況=ニーズがわかっていない。そのため、市場規模の推定すらできない」ことも多いでしょう。
製造工程の上流に位置する研究開発では10〜20年後を見据えるため、「目に見えた成果」が見えづらくなります。つまり、「顧客ニーズをとらえた開発が出来ているか」「顧客価値のある開発なのか」がわからない状態になりがちなのです。
以上を踏まえると、日本の製造業が置かれているのは「市場ニーズを捉えられない→投資に踏み切れない→開発リソースが足りない」という負のサイクルに陥るリスクがあるため、多くの事業開発・研究開発の現場では「指針」を模索している状況だといえるでしょう。
実用最小限の製品開発を目指す「MVP」の考え方
このような「どこを目指して研究開発を進めているのかわからない」という状況を脱却するために有効な考え方として、「MVP(Minimum Viable Product)」が挙げられます。
MVPとはNew Context社ゼネラルパートナーのEric Ries(エリック・リース)氏の著作『リーン・スタートアップ』のなかで提唱されている製品開発の手法です。2
MVPでは製品やサービスの“必要最低限の機能だけ”を持ったプロトタイプを開発し、それをユーザーに提供することでフィードバックを得て、製品の改善や市場適合性を確認するアプローチを指します。
初期段階でユーザーフィードバックを取り入れ、製品を改善していくことで、新規事業・研究開発の成功確率を高めつつ、無駄な開発費用や時間を削減できるようになります。
MVPが紹介されたのはリーン・スタートアップですが、この考え方は決してスタートアップのみしか活用できないというわけではなく、大手企業でも採用できます。
なぜなら、MVPで肝心なのは「検証によってフィードバックを得ること」にあるからに他なりません。
つまり、上図のように「アイデアを具体化する→市場に投入する→顧客からのフィードバックを得る」ことで製品の改善につなげることが肝になるということです。
実際に『リーン・スタートアップ』のなかでも、以下のように述べられています。
どうしても必要なもの以外の努力はなくてもいい。これを私は「検証による学び」と呼ぶことにした。スタートアップにとってもっとも重要な尺度に照らして必ず改善になるものだからだ。もうおわかりのように、顧客はこう臨んでいるはずという自分の考えを正当化するのは簡単だ。的外れのことを学ぶのも簡単だ。だから、検証による学びを得るためには、現実の顧客から集めた実測データを基礎とする必要がある。
加えて、検証による学びを効率よく進めるために、できるだけ早く「実用最小限の製品 = MVP」を作ることが重要である点には留意が必要です。
MVPでは「検証→改善」のループを回すことが主目的であるため、製品の完成度よりも、完成したプロトタイプに対する見込み顧客からの反応をみた上で、検証に繋げる「サイクルの仕組みを構築すること」が最優先課題となります。
顧客ニーズに基づく「仮説構築」がイノベーションを生み出す
では、MVPの大元のアイデアはどうやって生み出せばよいのかといえば、顧客ニーズから紐解いた「仮説構築」が重要になってきます。
イノベーションを生み出そうと思えば、顧客すら気づいていないニーズを拾っていく必要があり、これについてはネスレ日本株式会社CEOの高岡浩三氏は次のように述べています。
顧客が気付いている問題を解決してできるものはイノベーションでなく、リノベーションに過ぎない。では、イノベーションは何から出てくるかというと、聞いても出てこない。要するに顧客が気付いていない、もっと言うと、諦めている問題からです。この諦めている問題を私たちが発見して、それを解決した時にできるものだけがイノベーションである。3
つまり、「顧客が気づいていないもの」に気づくために、顧客インサイトに基づいた仮説が必要なのです。
しかし、初期段階に立てた仮説は間違っていることも往々にしてあるため、前述のとおり、“なるべく早く”仮説を検証することが目標となるでしょう。
マーケティングの定義は「Meeting needs profitably =ニーズを満たすことで収益を生み出す営み」とされ、マーケティング基点ではニーズは生み出されないとされています。
BtoBマーケティングでおさえておきたいニーズ vs ウォンツ vs デマンドの違いでも解説したように、米経済学者のPhilip Kotler(フィリップ・コトラー)・Kevin Lane Keller(ケビン・ケラー)共著の「Marketing Management」によると、顧客内の欲求は以下のとおり3段階に分かれています。
- ニーズ:基本的な必要性欲求、マーケティング起点では生み出せないもの
- ウォンツ:より具体化されたニーズ
- デマンド:ウォンツに購買力が伴った欲求
上記のうち、マーケティングの起点となるニーズは「顕在ニーズ」「潜在ニーズ」に分かれ、「引き出すこと・それを理解することが難しい」といわれています。
あらゆる提案の源となる顧客のニーズの多くは、その元を辿っていくと、ニーズの発生に至った課題は抽象度が高いため、顧客自身でも「ニーズを言語化できない」ケースも珍しくありません。
日本の大企業は既存事業による顧客基盤があることから、「すでに顧客ニーズを拾えている」という声も多く聞かれます。
しかし、それは既存事業の推進する上での顧客のニーズや要件を満たすことに限った話であり、「未来の事業をつくるための」抽象度の高いニーズを獲得するための会話とは一線を画すのです。
例えば、「既存事業」「新規事業・研究開発」それぞれの顧客像やニーズの代表例についてみてみると、以下のような違いがあるとわかります。
以上を踏まえると、大企業においても新たな領域に取り組む際には、仮説をもとに顧客ニーズを取得していき、新規事業に応用させていく必要があるといえるでしょう。
関連記事:インサイドセールスの成功率を上げるための仮説構築とは?
「マーケティング施策 × MVP思想」を実現させた新規事業・製品開発
とはいえ、実際にマーケティング活動によって顧客ニーズに対する“当たり”をつけられたとして、それをどのようにして新規事業・研究開発に活かせばよいのでしょうか。
ここで解決策として挙げられるのが、自社のマーケティング施策に、前述したMVPの概念を組み込むことです。
大企業の場合、製品開発の流れはステップ化されており、デザインレビュー(DR)に代表される各ステップの移行判定においては厳密な基準やルールが敷かれているケースが多々あります。既存の「完璧なものを提供する」プロセスでは、MVPによる製品開発そのものは難しいでしょう。
特にハードウェアを提供する製造業で不具合が発生し、リコールとなると、製品修正で数千万、数億円はかかるため、どうしても「完璧な製品」のリリースが求められます。
それと連動して、マーケットリサーチにおいても「完璧なニーズ」が求められるのが実情なのではないでしょうか。
こういった文化は前述したMVPとは相反するものであり、「サイクル構築を最優先する」という方針は難しくなります。
そこで有効なのが「MVPそのものを実行する」のではなく、「MVP的な“考え方”をマーケティング施策に落とし込む」というスタンスです。
つまり、以下のようにMVPの各フェーズ内で、開発(シーズ)・ビジネス(ニーズ)の橋渡しとして、「顧客と直接接点を持っている」マーケティングからユーザーフィードバックをもらい、事業・製品開発に活かしていくというアプローチになります。
「完璧なものができるまで社内での議論を深める」のではなく、市場に問いながらフィードバックを得る「MVP思想」のみをマーケティングに取り入れることで、大企業でもMVP的なアプローチによる新規事業・研究開発が可能です。
例えば、「未来の事業を作るため」に必要な潜在ニーズを押し計りたいのなら、仮説をもとにマーケティングメッセージを立案し、コンテンツ(例:営業資料やプレスリリース)への落とし込みを行い、見込み客に向けて発信する。その反響や実際の顧客の声を聞く中で検証を行うことで、仮説の精緻化につながるという流れです。
そうして確度が増した仮説を製品・事業アイデアに落とし込めば、顧客すら気づいていない潜在ニーズを満たすプロダクトを市場に投入していけるでしょう。
潜在ニーズを活かすためには地道なプロセスが必要
2020年代以降の数十年を見据えると、大企業にも新規領域への挑戦が求められています。しかし、 <前編>新規事業の創出で必要な「両利きの経営」をマーケティング視点で徹底解説の記事でも述べたように、新規性の高い事業は、どうしても既存事業よりも成功確率が低くなってしまいます。
そのため、打率は低くなる前提で「打席数を増やす」ことを意識し、試行回数を増やしながら、機動力をもったフィードバックループを構築することが求められるのです。
大企業における製品開発の全工程でMVPを導入するハードルは高いものの、前工程で重要になる市場調査・マーケティングの取り組みにはMVPの思想は必須といえます。
そのためには、顧客と対峙し、関係性を築き、有力な情報を得ながら、「向かうべき道筋」「事業・研究開発の方針」を策定していく地道なプロセスが必要になるでしょう。
なお、日系製造業の新規事業・技術開発に役立つ情報については、以下のホワイトペーパーでも公開しています。無料でダウンロードできますので、あわせてお役立てください。
- 経済産業省「平成26年4月産業構造審議会産業技術環境分科会研究開発・評価小委員会中間とりまとめ(素案)」https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/sangyo_gijutsu/kenkyu_hyoka/pdf/004_00_01.pdf [↩]
- Eric Ries「リーン・スタートアップ」日経BP [↩]
- ネスレ日本株式会社CEO 高岡浩三「日本企業における価値創造マネジメントに関する行動指針」経済産業資料https://www.meti.go.jp/policy/economy/keiei_innovation/kodoshishin/pdf/20191004003-1.pdf [↩]