新しい製品を生み出し事業化する。突き詰めると、ビジネスの本質はきわめてシンプルです。そして、その第一歩目となる曖昧で不透明なフェーズを手探りで進むのが研究開発です。しかし、事業として確立するまでの道のりは決して平坦なものではありません。
横河電機株式会社では、1971年に研究開発部が立ち上げられました。現在は、新たな事業機会の探索・創出をリードするイノベーションセンターとして、マーケティング本部の傘下に入っています。長きに渡る研究開発の道のりのなかでは、事業側との認識ギャップや経営戦略から具体への落とし込みなど、多くの課題と向き合い、方針も、組織も、目標も、少しずつその解像度を上げていきました。
今回は、横河電機株式会社マーケティング本部イノベーションセンターの加藤暁之氏と石井庸介氏にご登場いただき、研究開発の在り方とその模索、イノベーションセンターの変遷について詳しく伺いました。
目次
研究開発と事業部 両者を隔てる谷間の実態
山田理英子(以下、山田):横河電機で研究開発部が発足したのは1971年と伺いましたが、お二人ともご入社後からずっと研究開発畑なんですか?
加藤暁之(以下、加藤):1987年に入社した直後は、事業部で社内向け半導体デバイスの設計・開発・製造に携わっていました。その後に差圧伝送器チップのセンサやLSI実装等の研究開発をいろいろ経験しましたが、製品化に至らなかったり事業撤退したり、課題感はずっと抱えていたんです。会社として新規事業の創出を経営方針として大きく掲げたタイミングで、これは本腰を入れて事業化にトライするチャンスだと思い、研究開発部門での事業化にチャレンジしようと決意し取り組んできたのがこの10年くらいでの活動となります。
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横河電機株式会社 イノベーションセンター エグゼクティブビジネスアーキテクト 加藤暁之氏
石井庸介(以下、石井):私は2001年に入社して以来ずっと研究開発ですが、液晶パネルの検査装置やフィールド無線など製品そのものやそれに近い開発に携わってきました。ですのでいずれ事業部に行くものだと思っていました。会社で働いている以上は、ビジネスに関わりたいという想いも強かったです。ただ、途中からは所属する組織にこだわりはなくなっていきました。「新しいビジネスを生み出す」という目的を持っているのであれば、事業部ではなく研究開発で尽力するのも面白いですからね。
山田:二項対立とは言わないまでも、やはり研究開発と事業部とでは見える世界が違うものなんでしょうか?
石井:研究開発は「良いものができたから事業化してほしい」というスタンスですし、事業部としてはやっぱり「いや、しっかり売れるものを持ってこい」と考えていますよね。そこにある谷間は深くて、お互いの求めるものや考え方にギャップが生まれがちです。
加藤:「お客様は一体誰なのか?」という観点もありますね。当然ながら、既存事業と新規事業では解決できる課題の種類も方法論も異なるケースが多い。事業部からすれば、「新しいものはよくわからない」「足元の売上に影響する冒険はできない」という考え方になるのも無理はありません。
山田:確かに、足元で売上を積み上げていく事業部からすれば、目の前のお客様に迷惑がかかりかねないリスクは取れませんよね。
加藤:もちろん、持続成長のためには変化し続けなければいけないし、新しいことに挑戦もしないといけません。誰だって頭では理解しているんです。でも本気で、魂を込めて課題と向き合えているか? そう問われると、そこには高い壁がある。研究開発も事業部も、現実的なリソースや時間の配分、業績目標を前に尻込みしてしまうというのが、本質的な課題だろうと思います。
石井:製品前の試作段階やアイディア段階でも、お客様にはどんどん提案したほうが良いです。私の提案も徹底的にダメ出しされましたが、現場に赴いたからこそ加藤の言うような課題を肌身で感じられました。個人的には、非常に得がたい経験だったと思っています。
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横河電機株式会社 マーケティング本部 イノベーションセンター長 石井庸介氏
山田:最前線に自ら立ってお客様や市場の声をリアルに知る経験が、まさに「本気」に火を付ける好機になるのかもしれませんね。
イノベーションセンター設立を機に、クリアになってきた研究開発の道しるべ
山田:「イノベーションセンター」という組織がつくられたのはいつだったのですか?
加藤:まず2012年に、基礎研究だけではなく革新的な事業化に近い研究にも力を入れるという想いを込め、イノベーション本部と改名されました。そして2015年、それまでは独立した研究開発本部だったのがマーケティング本部の傘下に入り、組織名称もイノベーションセンターになりました。グループ全体で事業整理を進めていた時期があり、一本足打法になっていたんです。ある程度整理ができたタイミングで、新しい挑戦に踏み出そうという方針が打ち立てられたということですね。
山田:現体制に変化を遂げる、いわば第1フェーズですね。「新しい価値を創造」というキーワードも、この時点で発信されたのでしょうか。
加藤:中期経営計画「Transformation 2017」の策定時に、「YOKOGAWAは“Process Co-Innovation”を通じて、お客様と共に明日をひらく新しい価値を創造します。」というビジョンステートメントが掲げられました(2021年に変更)。ただ、“お客様”と明言されているように、当時の既存顧客と長期的なパートナーシップを築くという意思が強かったですね。
山田:既存事業や既存顧客とのつながりありきで、そこにある潜在価値を拾い上げてビジネスの種を見つけよう、ということですね。
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マーケットワン・ジャパン合同会社 代表 山田理英子
石井:完全な「新規」という意味合いは薄かったと思います。むしろ、「今ある技術で、今いるお客様と、新たな価値を生み出せることを探ろう」という感じでしょうか。当時を思い出すと、研究開発は事業に寄るべきか、あるいは一線を画して技術であるべきか? という議論もあって混乱もありました。
加藤:一歩進んだのは、本部長が代わった2016年。社会課題からの研究テーマ設定、社内外との共創による研究テーマ推進というキーワードが出てきたんです。活動領域を「バイオ」「エネルギー」「マテリアル」と定め、研究テーマに対する売上目標や事業化への意識づけにアクセルを踏んだ時期でもありました。
石井:具体的な目標が立体的に見えてきたおかげで、メンバーの立場でもクリアな道しるべが見えたと感じましたね。特に「バイオ」は錦の御旗のような位置づけで、YOKOGAWAの既存事業にはない真の意味で新領域への挑戦でした。ヒトもカネも手厚く投資されていましたし……。
山田:「新しいことをしたい、事業をつくりたい」という石井さんの想いと、会社の目指す方向が一致したと感じましたのはこの頃ですか?
石井:私自身は割とアウトローな存在ではあったんですが(苦笑)、純粋に「やったぞ!」と思いましたね。当社はBtoBのメーカーなので、研究開発はマーケティングドリブンの方がテーマ設定の打率が上がるだろうと確信していたからです。研究者が机にかじりついてテーマを出そうとしても、なかなかうまくいかないんですよ。その意味で、会社の打ち立てたメッセージと組織、オペレーションが筋道立って回り始めたと感じました。
山田:なるほど! 現場の声、お客様のリアルなニーズから逆算して考える研究開発が、組織的にもできるようになったということですね。
トップの本気とボトムから迸る熱意 自前主義からの脱却とともに動き始めた歯車
山田:第2のフェーズに入ったのは、いつ頃になりますか?
加藤:3カ年計画を終え、2018年度に次の中期経営計画「Transformation 2020」が出されたときですね。サステナビリティ、SDGsといった社会課題のトレンドキーワードが組み込まれ、新規事業の探求といった方針が対外的にも発信されるようになりました。
山田:イノベーションセンターではどんな動きがあったのでしょうか。
加藤:たとえば、石井が先導して取り入れたアジャイル開発プロセスの導入。他にも、DX技術開発の立ち上げ、外部ベンチャーとの協業などが具体的に進み始めました。今でいうリスキリングのようなプログラムで多様な学びを求める人が増え、キャリア採用も急増していきました。
山田:確かに変化を感じますね。新しいものをつくるということが、上段の目標に掲げられた。そうなると、良いものや自分たちの持っていないものは、外から取り込もうという発想が生まれてきます。
石井:自前主義を揶揄する”Not Invented Here.”という言葉がありますが、自前主義では立ち行かないだろうという雰囲気はもともとあったんです。加藤を含め、先進的な思想の世代は気づいていたはずですが、当社は文化的にアジリティがそれほど高くはないと思うので……。それでもこの頃から、いよいよ5年先10年先を見据えた動きが出てきました。
山田:なぜ、そのタイミングで動き出したんでしょうか。もちろん、社会情勢など外的要因もあったとは思いますが……。
石井:トップが本気で変革しようとする働きかけと、ボトムの意識を高める動きが連動したからでしょうか。どちらか片方ではうまくいかないんですよね。歯車が動き始めたんだと思います。一方で、動き始めたからこそ、人材や文化といったソフト面の遅れが如実に浮き彫りにもなってきました。やるべきことはわかっていても、誰もHowがわからない、という状態で。
加藤:「こうしましょう」と言われればできるという、まだまだ脆弱な状態でしたね。もちろん、試行錯誤はずっと重ねてきていたので、曖昧ながらもHowの輪郭が見え始めてはいたと思います。
山田:少しずつ解像度が上がってはいたんですね。加藤さんがイノベーションセンター長に就任されたのは?
加藤:「Accelerate Growth 2023」という中期経営計画が発表された2021年です。たとえば「System of Systems(SoS)」については、単独では実現できない目的をシステム全体として実現する世界観などが言語化されました。「IA2IA – Industrial Automation to Industrial Autonomy」という概念も訴求し、やりたいこと、やるべきことの目線合わせがブレない状態を構築しようと励みました。
山田:確か、当社がお手伝いさせていただいたのもこの頃ですね。できあがったフレームに対し、具体的なアクションまで落とし込んで動かすのはいかがでしたか? 実際に変革できるかどうかという点において、大変そうだと感じる企業は少なくありません。
加藤:率直に言うと、事業サイドと変革の重要性についての理解を合わせ価値創造活動を波及させることは難しかったです。それでも徐々に変化は生まれていて、たとえば石井が携わっていたロボティクス関連の製品は、事業部と連携して2020年からPoC実証を経て2024年に製品リリースとなりました。
石井:コンセプトを理解することと、ビジネスに落とし込むことの間には、まだまだギャップがあると感じます。個人差はあれども、理解や咀嚼だけならある程度できる。ただ、組織全体の動きとして足並みを揃え、具体の成果につなげるのは相当なハードルです。SoSのビジネスを仕掛けたとして、その結果がどうなるのかは誰にもわからないですからね。
仕組みの変革と文化の変革を両輪で回しながら、新規事業創出の先鋒となっていく
山田:変革を生み出していくうえで最も難しいのは、組織をつくり、人を動かしていくことだと思います。同じ会社でありながら、イノベーションセンターと事業部の間でギャップが生まれたり、意図した方向に動きづらかったりするボトルネックは、どこにあるとお考えですか? これは、多くの企業で同じように起こりうる課題だと思っています。
加藤:平たく言うと、ゴール設定の解像度の粗さが原因ではないでしょうか。イノベーションセンターと事業部と会社。ゴール設定の方向性が揃っても、実現までの進め方が揃っていなければ、結局はバラバラです。イノベーションセンターは中期経営計画と合わせていくつものフェーズを進んできましたが、経営戦略と事業戦略が有機的に連携できていなければ、あるいは、具体性が欠けていたら、やっぱりなかなかスムーズには進まないと思います。
山田:なるほど。お互いに粗い状態であると認識し、突き詰めていくプロセスの共有が不可欠かもしれませんね。プランを描き、全体を巻き込むビジネスをつくっていくには、必ず具現化が必要になる。特に、探索の領域で生まれた新規事業を深化の領域でスケールさせるなら、なおさらでしょう。
価値観を共有するには言語化が必要で、一部の人だけ理解しているのでは足りません。ビジョンから落とし込まれた世界観を、経営・事業・研究開発でつなげながら加速させていくなかに、まさしく生みの苦しみがあるのだろうと感じさせられました。
石井:まさしくそうですね。当社に関して言えば、経営方針に対して、特にマーケティング本部と事業部側で十分にアラインする必要があると思います。我々は「良いもの」を「売れるもの」にすることを「インキュベーション」と呼んでいますが、そこにこそ深い谷があります。仕組みの変革と文化の変革は両輪で回さなければダメで、今まさにそこに差し掛かっている。組織や仕組み、メッセージなど、ハード面の整備はできたので、ここからソフト面である人や文化の変革を進めることで、実行力を上げていこうとしています。
山田:そうなると、事業部側の考えや想いも知りたいところですね。
石井:実際にコミュニケーションをとってみると、事業部側でも同じ課題感を抱えているんだとわかってきました。課題を共有できれば距離を縮めるのは簡単で、この1〜2年で明らかにそういった事例が増えてきています。
山田:二項対立ではなく、課題を共有する同志ですしね。
石井:そうなんです。2030年には現在の約2倍の1兆円の売り上げを目指していますから。
山田:新規事業で売上1兆円を目指す?
石井:既存事業をどうやって伸ばすのかももちろん重要ですが、新規事業がなければ達成は不可能です。1兆円と最初に聞いた時は「会社が突拍子もないことを言っている」という受け止め方も見られましたが、何年も言われ続けると、グループ内の雰囲気がじわじわと変化してくるものですね。トップの発信力が気運を変えていくんだな、と。
山田:研究開発の第1フェーズでは、まだ「ここではないどこか」へ行きましょう、どっちに進むべきかはまだわからないけれど……、という状態でしたよね。既存の技術でできることを積み上げよう、と。そこから第2フェーズに移って、今度は社会課題というキーワードが出てきました。
石井:「社会課題」はスローガンとしては「1兆円」と似ているところがあって、「社会課題を解決しましょう」ではなく、社会的に関心が高くて投資される領域に進出する、それによって事業会社として社会課題の解決に貢献する、というのが本質です。その結果として、1兆円の達成に近づきます。
山田:こうした話を踏まえると、新規事業の創出やビジネスレベルの具体化を進める責任の所在はどこにあるのか? という課題が見えてきますよね。それが事業部だという人もいれば、イノベーションセンターだという人もいるでしょう。ただ、事業部としては新規事業への本気度いかんではなく、安心して乗り込むに足る船ができなければ踏み出せないという一面もあるだろうとは感じます。
石井:まさしくそれがやりたいところです。会社の仕組み上、マーケティング本部は販管費部門ですが、儲かる新規事業だと証明するにはどこかで事業の損益管理の責任をもつ必要があります。個社にスピンオフして売上評価ができれば理想的です。
加藤:山田さんのおっしゃる通りで、突き詰めていくと最終的には必ず「誰がやるのか?」という一点に突き当たると思います。その点で言うと、現センター長の石井には、製品だけでなくいかにして事業をつくるのかという目線で、イノベーションセンターを率いてほしい。今までの延長線上ではなく、ゼロベースでの変革へのチャレンジも期待しています。
石井:やっぱり変革はやりがいがありますよ。改めて、会社が新規事業をつくるってすごいと感じているんです。アイディアを形にするという点はもちろんですが、会社の研究開発部門は複数の事業をつくるための仕組みであって、組織自体がシリアルアントレプレナーの機能を果たそうとしているように思えるんですよね。イノベーションセンターがその先鋒として、新規事業を世に送り出せるよう尽力していきます。
加藤:マーケットワンさんには、探索から深化の過程において、どんなテーマを具現化するかについてアドバイスをいただいてきました。今後はその先、事業部とどのように連携してビジネスをつくっていけるかについて、改めてアドバイスをいただければありがたいですね。
山田:ぜひお力になりたいと思っています。本日は貴重なお話をお聞かせいただき、ありがとうございました。
プロフィール
横河電機株式会社
マーケティング本部 イノベーションセンター エグゼクティブビジネスアーキテクト
加藤暁之
1987年入社。社内向け半導体デバイスやセンサを提供する事業部に配属。開発に携わった後、半導体向けセンサの開発を担う研究所に異動して差圧伝送器のチップ開発を行う。本社に戻り、再び研究開発本部へ。新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)とのプロジェクトに参画。2015年、マーケティング本部に統合される際に研究開発に戻り、2021年度からイノベーションセンター長を務めた。
横河電機株式会社
マーケティング本部 イノベーションセンター長
石井 庸介
2001年入社。研究開発本部に配属され、液晶パネルの検査装置開発に携わる。その後、フィールド無線(マルチホップ)の開発を行ったほか、ARを用いたソフトやアプリ開発なども経験する。イノベーションセンターになってからも、ソフトウェア系のマネジメントを担い、2024年4月より現職。
山田 理英子
マーケットワン・ジャパン合同会社 代表
2006年にMarketOne International Groupのアジア初拠点であるマーケットワン・ジャパンを設立。以来17年間代表を務め、日本市場向けのサービスと体制づくりに従事。2016年より、世界に8拠点をもつMarketOne International Groupの Senior Vice Presidentを兼任。