2025年は、後年「実務でのAIエージェント活用が当たり前になり始めた年」として記憶されるのではないでしょうか。生成AIは、単に文章を返すツールから、複数の工程を計画し、実行する存在へと進化し、すでに現実の業務プロセスの中に入り込みつつあります。
実際、McKinseyのグローバル調査によれば、AIを少なくとも一つの業務機能で定常的に利用している組織は88%に達しています1。さらに、エージェント型AIをスケール段階で活用している企業も23%にのぼり、試行を含めれば、より広い範囲で探索が進んでいることが示されています。
こうした流れのなかで、多くの現場では、セキュリティやガバナンスへの懸念と折り合いをつけながらも、「まずはAIに聞く」という行為が日常の動作として定着し始めています。
経営層からは「AIを使って何かできないか」という指示が増えると数多くの現場から声を聞きますし、展示会や提案の場では、「AI」を冠したソリューションが数多く並びます。
ただし、ここで起きているのは「AIを導入できた企業が勝ち、できなかった企業が負ける」といった単純な構図ではありません。
より本質的には、AIが特別な取り組みではなく、業務の前提となるインフラに近づくことで、差別化が生まれる場所そのものが移りつつある、という変化が進行しています。
本記事では、そのような時代でマーケティングがどのようにAIに向き合っていけばいいのかを論考します。
AI活用は大前提。むしろ「使わないこと」が機会損失になる
AI活用は、もはや一部の先進企業だけの取り組みではありません。
コンサルティングファームのBCG社の調査によれば、世界平均では日常的にAIを利用している人の割合が72%に達しています2。一方で、日本は51%にとどまり、世界平均との差が広がっていると述べられていました。
同調査では、組織として正式に許可されていなくてもAIツールを利用している「シャドーAI(ユーザー)」の存在も明らかになっています。
自らAIを活用している人は半数が該当するとされており、AIが個人の興味や試行の段階を超えて、業務の中に入り込んでいる状況がうかがえます。これは利便性の裏返しでもあり、同時にガバナンスや設計が追いついていないことを示す兆候でもあります。
ここで押さえておくべきなのは、AIを使っているかどうか自体が、すでに競争優位を分ける指標ではなくなりつつある点です。インターネットが普及した後、「検索できること」そのものが差別化にならなくなったのと同様に、AIもまた業務の前提条件に近づいています。
結果、AIを使わないことは「現状維持」ではなく、相対的に遅れを取るという意味で、機会損失に直結しやすくなっています。
この傾向は、AI技術を活用した各種サービスをみると、さらに明確になります。「業務フローの自動化」「LLM(大規模言語モデル)を用いたアプリ構築」は、個人や小規模なチームでも現実的な選択肢になりました。
一方で、汎用的な情報や機能が広く行き渡る環境では、それらをいくら多く使っても、それ自体が差別化につながるとは限りません。
つまり、機能としての「AI」は急速にコモディティ化しているのです。「AIを使っている」「AIが自社製品に入っている」という事実だけで優位性を保つことは難しく、同様の仕組みは容易に模倣されます。
汎用化された情報や機能を前提に利便性を享受する世界では、差が生まれるのはAIの性能ではなく、そこに何を与え、どのような判断につなげているかという、人間側の設計に移りつつあります。
「AIの2026年問題」が示す「データ=資源」の希少化
中長期の視点で見ると、もう一つ押さえておくべき論点があります。いわゆる「AIの2026年問題」と呼ばれる議論です。
これは、高品質な学習データが将来的に枯渇する可能性があるという指摘で、MIT Technology Reviewでも、早ければ2026年頃に質の高い訓練データが不足し始める可能性があると報じられています3。
もっとも、この予測が正確に当たるかどうかはさほど重要ではありません。経営やマーケティングの立場から受け止めるべき本質は、データ、とりわけ業務の文脈を含んだデータが、あらためて競争資源として位置づけられつつあるという点です。
汎用モデルの性能向上が頭打ちになる局面では、成果の差はモデルそのものではなく、各社がどのようなデータを持ち、どのように使っているかに依存してくるでしょう。
ここに、日本企業が直面している構造的な課題も重なります。大規模言語モデルの中核となる技術やプロセスは海外企業が握っており、日本企業は利用者の立場に回りやすい構図が続いています。
内閣府の年次報告では、デジタル関連分野を中心にサービス貿易赤字が拡大していることが示され、海外企業が優位な領域で国内需要が増えている点が課題として指摘されています。プロセスを外部から調達し続ける限り、支払いが積み上がっていく構造は変わりません4。
要するに、プロセスを外から買い続ければ、支払いが積み上がるということです。この状況で、日本企業が戦える領域は以下の二つしかないでしょう。
- AIへインプットする情報の精査:現場起点の業務知、顧客文脈、暗黙知(いわゆる三現主義の強み)を積極的に活用する。
- アウトプットの質の向上:生成物を推敲し、意思決定に耐える形へ“使える情報”に仕立てる。
ChatGPTはBtoBマーケティングにどのような影響を与えるのか?の記事では、AI活用の肝を「インプット→プロセス→アウトプット」の3工程で整理しましたが、考え方は今でも変わっていません。
AI活用の効果として「プロセスの効率化」がよく話題になりますが、実際は「何を入れるか」によって、出てくるものが大きく変わります。
同じモデルを使っていても成果に差が生まれるのは、そのためです。よく「プロンプトが上手い人が成果を出す」といわれますが、実際には、期待するアウトプットを定義できるかどうか、評価の軸を持っているかどうかが分かれ目になります。
この部分に関する理解の差は、今後そのまま成果の差として表れていくでしょう。
AIによってむしろ労働時間が増えかねないという逆説
加えて、もう一つ直視しておくべき現実があります。それは、AIは確かに生産性を高めるものの、それが必ずしも余暇(=暇な時間)の増加につながるとは限らないということです。むしろ、競争が加速し、個人や組織が処理すべき情報量は増えていってしまいます。
なぜなら、多くの人がAIを使うことが前提になると、生成されるアウトプットの量は一気に増えるためです。その結果、仕事が減るというよりも、「どの情報を使い、どれを使わないのか」を判断する負荷が高まっていきます。
AIは案を出し、整理し、方向性を示してくれますが、それらを採用するかどうかを決めるのは人間です。選択肢が増えれば増えるほど、意思決定の回数も増えていきます。
技術領域では、この傾向がより顕著です。コーディングにおいて、AIがジュニアレベルの作業を上回る場面は珍しくなくなりました。
AIが稼働することで開発速度は大きく向上しますが、同じ条件は競合にも当てはまります。全体のスピードが上がれば、その分だけ競争も過熱し、人間側にはさらに多くの判断が求められるようになります。
象徴的なのが、いわゆる「996」と呼ばれる働き方です。WIREDは、米国のAI系スタートアップで、中国発の「朝9時から夜9時まで、週6日働く」スタイルが採用され始めていると報じています5。AIによって効率が上がる一方で、競争圧力の強い環境では、労働時間が再び長時間化する現象も実際に現れているのです。
日本では、2025年の新語・流行語大賞に「働いて働いて働いて働いて働いてまいります」が選ばれました6。流行語は統計ではありませんが、筆者にはこれが社会の空気感を端的に表しているように感じられます。
マーケティングにとって、AI時代の働き方はもはや「良くなる/悪くなる」の二元論では語れなくなっていきます。むしろ、多くのアウトプットが生まれる前提で競争が進めば、結果として多くの稼働を引き受けた人が評価されやすくなる可能性すらあります。
AIが加速するほど、「やるべきことが減る」というよりも、「決めるべきことが増える方向に引っ張られている」という感覚を、現場で共有している人は少なくないのではないでしょうか。
AIに入れる「情報の質」を上げていくことが今後は急務になる
AIによって処理速度や生成量が高まるほど、現場で問題になるのは「どれだけ多くの情報を集められるか」ではなく「どの情報を、どの前提でAIに渡しているか」です。
AIが返すアウトプットの質は、モデルの性能以上に、入力される情報の構造や粒度に強く左右されます。情報が未整理なまま渡されれば、出力もまた未整理になり、その後の判断や調整に多くの時間が費やされることになります。
ここでいう「情報の質」とは、正確さや網羅性の高さを指しているわけではありません。「その情報がどの判断のために使われるのか」「どこまでを前提としてよいのか」「何を判断の対象から外しているのか」といった、意思決定の条件が明示された入力内容であるかどうかです。
こうした条件が曖昧なままでは、AIの出力は便利であっても、実務にそのまま耐えるものにはなりにくくなります。
そのなかでは、現場で培った操業データや、業務の運用データなど、自社の現場から生まれる一次データも大きな価値を持ちます。すべてが整ったデータでなければ使えない、というわけでもないため、現場に散在しているメモや経験則、共有されきっていない暗黙の前提であっても、積極的に活用する余地があります。
「何を確かめたいのか」「どの判断に使うのか」という仮説を立てたうえで整理すれば、AIに渡す情報として十分に意味を持ちます。
最初から完璧なデータを用意しようとするのではなく、人間側が意思決定の軸を言語化し、それに沿って情報を組み立てていくアプローチであれば、専門のデータ部門だけでなく、業務を理解している担当者レベルでも十分に引き受けられるでしょう。
AIが24時間/365日で動く時代に、人間に残るものは「責任」と「意思決定」
極論をいえば、AIは昼夜問わずいつでも稼働し続けられます。一方で、人間は同じようには動けません。だからこそ、最終的に問われるのは「何を決めるのか」という点です。
AIが返す情報は便利である一方、量が増えるほど玉石混交になり、ノイズも増えていきます。ここで求められるのは、AIをうまく操作するテクニックではなく、意思決定に向き合うための基本的な姿勢です。
具体的には、次のような領域が人間側に残されることになるでしょう。
- 仮説を持つ(何を確かめたいのか)
- 情報源を疑う(バイアスと限界を理解する)
- 評価軸を持つ(意思決定に耐える要件を定義する)
- 最後は自分で決める(責任を引き受ける)
これらはいずれも、AIに任せきることができない領域です。AIは答えの候補を示すことはできますが、どの前提を採用し、どの選択を取るかを決める行為そのものは、人間の側が担っていく必要があります。
AIエージェントが業務に入り込むにつれて、マーケティングの役割も変化します。オペレーションを回すこと自体の価値は相対的に下がり、意思決定の質をどう高めるかに重心が移っていきます。業務効率化は入口に過ぎず、それだけでは競争力にはなりません。
真の論点は、企業固有の現場知や顧客文脈をどのように「学習できる形」にし、AIが生み出したアウトプットをどの段階で「意思決定に耐える情報」に仕上げるのか。そして最終的に誰が責任を持って判断するのかという設計にあります。
AIが当たり前になるほど、「AIを使うかどうか」は論点ではなくなり、残るのは「何を入れるか」と「どう決めるか」です。そしてその問いに向き合うことは、「マーケティングの仕事を、いっそう人間の仕事」にしていくともいえるでしょう。
- McKinsey「The state of AI in 2025」 [↩]
- BCG「生成AIを日常的に使う人の割合は70%超の一方、従業員の利用率は51%にとどまる~BCG調査」 [↩]
- MIT Technology Review「大規模言語AIにアキレス腱、訓練用データが2026年にも枯渇か」 [↩]
- 内閣府「Economic White Paper 2024 Annual Report on the Japanese Economy and Public Finance-Toward a Vibrant New Economic Stage-」 [↩]
- WIRED「Silicon Valley AI Startups Are Embracing China’s Controversial ‘996’ Work Schedule」 [↩]
- nippon.com「2025年の新語・流行語大賞は『働いて働いて働いて』 : 『二季』『クマ被害』など環境変化も」 [↩]
