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知財部門が切り開く新たな事業の柱

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これまで多くの企業にとって、知財は主力事業を守るための手段とされてきました。しかし、グローバル競争が激化し、新たな市場の創出が求められる現在、知財の役割は大きく変わりつつあります。

特に製造業では、既存事業の延長線ではなく、次の収益源となる事業を見出すことが経営上の課題となっています。

そのような状況の中で、企業がすでに保有している特許、ノウハウ、ブランド、データといった知的財産を含む無形資産こそが、新規事業開発の最も有効な資産となり得ます。これらを活用することで、知財は「守るもの」から「活かすもの」へと転換することができます。

これによって、企業は持続的な競争優位性を確立し、将来的な企業価値の向上を図ることが可能になります。しかし、そのためには、知財を単なる技術や権利として扱うのではなく、市場価値へと結びつけるための戦略的な視点と仕組みが求められます。

本稿では、そんな「知財を新規事業開拓に活かすためのマーケティング機能の構築」について、背景やプロセスを踏まえながら解説します。

今、日本企業には無形資産価値の向上が求められている

2025年現在、企業競争において有形資産だけでは他社との差別化が図りにくいのが実情です。

特許庁が公開している『知財経営への招待~知財・無形資産の投資・活用ガイドブック~』でも示されているように拡張可能性の高さや、相乗効果、補完性の観点において、イノベーションや事業機会を生む効果が得やすいことから、差別化の源泉、ひいては企業価値向上に資する資産として、知財・無形資産の重要性が高まっています1

これまでの製造業では、技術力や製品品質を強みに市場で優位性を確保してきましたが、グローバル化の進展により競合が増加し、有形資産である製品の改善だけでは持続的な成長を実現することが難しくなっているのが実情です。

特に日本企業においては、国内市場の成熟化に伴い、新たな競争力の源泉を見出す必要性が高まっています。こうした状況を受けて、近年では多くの企業が「無形資産」に注目し始めています。

つまり、特許やブランド、ノウハウ、データといった「無形の知的財産」は、企業の持続的成長を支える重要な要素となりつつあるのです。これらの資産を効果的に活用することによって、市場における独自のポジションを確立し、新たな価値を創出する機会が生まれます。

海外市場、とりわけ米国では、無形資産が企業全体の価値に占める割合が非常に大きくなっており、企業の成長、価値を左右する要因となっています。

実際に「GAFAM」と呼ばれるGoogle(Alphabet Inc.)、Apple、Facebook(現Meta Platforms, Inc.)、Amazon、Microsoftの、世界をリードするIT企業5社では平均して80%以上の企業価値を無形資産が占めているとのことです。市場全体でも2020時点でS&P(スタンダード・アンド・プアーズ)に上場している企業価値の90%が無形資産によってもたらされています。

知財部門が切り開く新たな事業の柱

(出典:エコノミストOnline「『知価大国』 巨大IT企業を生んだ圧倒的な無形資産投資=諸富徹」)

一方日本の市場では東京証券取引所 (TSE)に上場する 225の企業の平均では無形資産は企業価値全体の32%に過ぎないと判明しています。

業種、業態の差はあるとはいえ、企業価値の向上に寄与する無形資産の活用、価値向上は多くの日本企業にとって重要な急務と言えます。

知財部門が切り開く新たな事業の柱

(出典:特許庁「知財経営への招待~知財・無形資産の投資・活用ガイドブック~」)

こうした国際的な潮流も踏まえ、日本政府も企業の競争力強化に向けた知財の戦略的活用を推進しています。

内閣府・特許庁のガイドラインでは「知財・無形資産への投資と活用を、企業経営の中核に位置づけること」が推奨されています。

つまり今は、市場トレンドを見極めながら、自社がどのように競争優位を確立していくのか、そのための知財戦略の構築が強く求められている段階にあるといえるでしょう。

自社の知財を活かすには「マーケティング機能」が不可欠

無形資産や知的財産を企業の競争力向上につなげていくためには、マーケティング機能の構築が不可欠です。

一般的に、マーケティングとは「企業が提供する価値を社会と接続し、顧客との関係性を通じて中長期的に事業を成長させていく営み」を指します1

一方で、本稿で扱う「知財を活かすためのマーケティング機能」とは、単に顧客接点を通じて市場に製品を届けるための活動にとどまらず、知財や無形資産を基点に新たなビジネス機会を見出し、戦略的に展開していくための総合的な機能を指します。

従来、知財は技術や権利として保有されること自体に価値が置かれてきましたが、今後は「それらをいかに市場価値へと転換し、事業の成長に結びつけていけるか」という視点が求められるのです。

その中核となる要素は、以下の3点に集約されます。

  • 市場動向の分析と適応:知財がどの市場でどのような価値を持ち得るかを評価し、競争優位性の確立につなげる。
  • 統合的な知財管理の推進:部門ごとに分散している無形資産を統合し、企業全体として活用できる体制を整える。
  • バックキャスト思考の導入:既存事業の延長ではなく、将来の市場ニーズを先読みし、必要な知財戦略を構築する。

これからの知財戦略では、自社の強みや既存事業の延長線上から将来を見通していく「フォアキャスト(過去や現在を基に未来を予測するアプローチ)」だけでは、変化の激しい市場環境に対応しきれません。

これまでの実績や現在の事業基盤を起点とする考え方は、安定性がある一方で、社会や顧客の価値観が急速に変化する時代においては、柔軟性を欠くリスクもあります。

だからこそ、将来「どうあるべきか」という理想の姿を先に描き、そこから逆算して現在の戦略を設計する「バックキャスト(未来起点で戦略を構築するアプローチ)」が重要になってきます。

知財戦略にもバックキャスト思考を取り入れることで、社会課題や産業構造の変化に対して積極的に対応し、知財を企業の成長戦略の中核に据えることが可能になります。

知財部門にもマーケティング機能が必要な理由

知財の活用においてマーケティング機能が不可欠な理由は、知財が「単に特許のような技術的権利にとどまらず、企業が保有する多様な無形資産を含む概念である」からです。

実際に、内閣府・特許庁が公表した『知財・無形資産の投資・活用戦略の開示及びガバナンスに関するガイドライン Ver.1.0』では、企業が活用できる無形資産を以下のように分類しています2

<無形資産の種類>

  • 無形資産:のれん、営業権、借地権、電話加入権 など
  • 知的資産:人的資産、組織力または組織的資源、顧客関係、システム&ネットワーク
  • 知的財産:ブランド、ノウハウ
  • 知的財産権:営業秘密(不正競争防止法)、著作権(著作権法)
  • 産業財産権:商標権(商標法)、意匠権(意匠法)、実用新案権(実用新案法)、特許権(特許法)

これらの無形資産は、既存市場にそのまま適用できるとは限らず、多くの場合、市場側の理解や受容そのものを前提にしなければ価値として成立しません。

特に伝統的な大企業が保有している無形資産は本業の進化の領域で有形資産としての製品を開発、製造するために発展保有されたものです。

そのため、今までと違う顧客や業界に対して自社の保有する無形資産を活用するには、「新しい業界のニーズに合わせてカスタマイズする」「他社と協業して自社では保有していない無形資産を組み合わせる」などにより、新たな価値の創出が求められます。

とはいえ、社内の技術者の多くは本業に必要な技術開発、特許の獲得に注力しており、そのような新しい探索領域の事業開拓で「どのように無形資産を活用していくのかを考える専門家」が不在であることが多く、ハードルが高いのが現実です。

加えて、知財や無形資産の管理が企業内で分散しており、一貫した戦略を立てることが難しいという課題もあります。

無形資産の所管が部門ごとに分かれている場合、戦略全体の整合性が取りにくく、「無形資産が本来持つ市場価値」の最大化が困難になるのです。

実際に、各社が保有する無形資産は下記のように種類に分かれる事が多く別々の部門で保有されているのが実情です。

知財部門が切り開く新たな事業の柱

(出典:ICR「『知財・無形資産の投資・活用戦略の開示及びガバナンスに関するガイドラインVer.1.0』に見る知的財産会計の難しさとIRの変容」)

こうした状況に対応するためには、知財活用を全社的に統括できる「強力な新規部門」あるいは「社長直轄の組織」の設置が求められます。

加えて、特に製造業においては「特許にはなっていない技術」「営業ノウハウ」も何らかの特許技術に紐づいている場合も多いため、知財起点で価値を生み出す上では自社の資産の棚卸しも必要です。

一方で、知財や無形資産を活用したマーケティングや新規事業開発を推進する上では、「現状維持バイアス」も大きな障壁となります。

多くの企業では、ある程度投資に対して確実なリターンが見込める既存事業の維持・拡大が優先される、投資に対してのリターンが不確実な将来的な市場の可能性に資源を投じる取り組みが後回しになってしまう傾向にあるのが実情です。

だからこそ、将来の社会課題や経済の方向性を見据えながら、自社の知財が活きる市場を構想し、その価値を言語化・具体化していくマーケティング機能が、知財から新たな価値を創造していく上では必要なのです。

「自社の資産(=シーズ)」を棚卸し、世の中で事業として成り立つ「ニーズ」とマッチングさせる取り組みですので、確かに難易度は高いでしょう。しかし、だからこそ企業価値の向上にも大きく貢献できる。それが知財起点のマーケティングなのです。

知財起点のマーケティングを成功させるための要件

知財や無形資産を活用したマーケティングを成功へと導くためには、まず「自社が保有する技術資産をどのように市場価値へと転換し、ターゲットとなる企業との関係性を築いていくか」を明確にする必要があります。

つまり、単なる技術の保持や特許の取得ではなく、それらの資産をいかに市場における競争力へと昇華させるかが重要なのです。

とりわけ、最終製品を製造しない企業であっても、知財を起点とした「バックキャスト思考」を持つことで、将来的な市場ポジションを構想し、競争優位性のある領域に向けて資源を集中させることが可能となります。

そのためには、まず「どの企業の“ファーストコールパートナー”を目指すのか」を明確に定めなければなりません。

ファーストコールパートナーとは、ある課題に対して最初に相談される存在であり、その地位を確立できるかどうかが、自社の知財が選ばれる価値を左右するものです。

このとき、検討すべき観点としては「市場の魅力度」「競合優位性」「自社のパーパスとの整合性」の3つが挙げられます。

知財部門が切り開く新たな事業の柱

これらの視点を掛け合わせ、どの業界・企業に対して自社がパートナーとして選ばれるべきかを選定し、知財を介して関係性を築いていくことが、マーケティングの根幹となります。

その上で重要なのが「VoC:Voice of Customer」の活用です。

VoCとは「顧客(企業)の声」を指すマーケティングの概念であり、顧客が抱える潜在的な課題や要望を把握し、製品開発や市場戦略に反映させていくための起点となります。

特にBtoBマーケティングにおいては、「顧客の声を聞く」だけでなく、「自社の構想を伝える」ことも同様に重要です。

知財部門が技術的視点から構想したテーマやアイデアを、パートナー候補となる企業に対して積極的に発信し、双方向の対話を通じてビジネスの接点を育てていくプロセスが求められます。

「VoC(Voice of Customer)」がイノベーション創出に貢献する理由を詳しく解説でも述べられているように、特に黒字化の難しい新規事業領域では、計画の初期段階から有力な顧客の声を取り入れることで、アイデアの市場適合性を高められます。

例えば、日本自動車工業会に加盟している日本の自動車メーカーは、2025年4月時点で14社です3。つまり「自動車市場」というマーケットはわずか14社の企業で構成されているため、14社のなかでも特に有力な自動車メーカーのVoCをきちんと把握ができていれば、アイデアの市場適合性は高いと判断できます。市場の趨勢、目指すべき姿からのバックキャストの実現という観点でも自社はファーストコールベンダーになりたい対象企業のVoCを集める力が今後の競争力強化の大きなポイントとなります。

VoCを通じて、知財や無形資産が市場でどのように評価されるのかを検証し、その結果を次の戦略に反映していく。このサイクルを回すことが、知財起点のマーケティングを前進させる原動力となるのです。

知財起点のマーケティングの実践プロセス

知財を企業のマーケティング戦略に活用していくためには、あらかじめ定められた手順に沿って、段階的かつ戦略的にプロセスを構築していく必要があります。

これは、知財を単なる法的権利として保有するのではなく、企業の成長戦略の中核として位置づけ、無形資産が実際に市場で価値を生む仕組みへと転換する営みです。

近年では、有形資産のみで企業の差別化を図ることが難しくなり、特許、ブランド、ノウハウ、データといった無形資産の重要性が高まっています。

知財を起点としたマーケティングの実践においては、以下の3つのステップに沿った取り組みが有効です。


【Step1】マテリアリティの特定

  • まず「どの企業のファーストコールパートナーを目指すのか」「なぜ目指すのか」「どの技術資産で競争するのか」というマテリアリティを特定する。これにより、知財が単なる権利の保持ではなく、市場価値を生む資産として活用できるかを判断できる。

【Step2】ビジネスモデルや技術のプロトタイプ作成

  • 次に、特定したターゲット市場に向けて、知財を活かしたビジネスモデルを策定し、技術のプロトタイプを設計・試作する。この段階では、実際の市場ニーズと自社の知財がどのように結びつくかを具体化することが求められる。

【Step3】VoCによるビジネスモデル検証

  • 最後に、顧客の声(VoC)を活用し、策定したビジネスモデルや技術の適合性を検証する。顧客企業からのフィードバックをもとに、知財を活用したマーケティング戦略を最適化していく。

なお、新たな成長機会を創出し得る「社会課題起点のマテリアリティ特定」の方法とは?でも解説したように、Step1におけるマテリアリティの特定では「単に自社が取り組む課題を見極める」だけでなく、それを社内外のステークホルダーに向けて表明しなければなりません

社内外に向けて、自社が特定の領域でファーストペンギンになることを表明し、同じ課題に関心を持つ他社や組織に協力を呼びかける必要がります。

これにより、自社単独では実現が難しい困難な目標に対しても、複数の企業や組織と連携して取り組めるようになります。

Step2のプロトタイプ作成においては、Appleのスティーブ・ジョブス氏がBusinessWeek誌上で語ったといわれる「多くの場合、人々はそれを見せるまで、自分が何を欲しいかわからない」という言葉を肝に銘じておきましょう。

「どんなものが欲しいですか」と何も用意せずに顧客からVoCを集めようとしても、欲しいものが本人のなかで具体化できているという場合を除き、有効なフィードバックは得られません。

たとえ顧客のニーズに合っているかどうかわからないとしても、「役に立つフィードバックを得ること」を目標に、まずはプロトタイプを作ってみて、市場に投下していくことが必要です。

知財を「活かす体制」こそが今後は求められる

今、企業が持続的な成長を遂げるためには、特許やノウハウといった個別の権利だけでなく、ブランドやデータ、顧客ネットワークといった多様な無形資産を、いかに戦略的に活用できるかが重要になっています。

その中心にあるのが、知財を市場価値へと転換するための「マーケティング機能」です。

従来のように技術の優位性を守るだけでは、市場の変化に応えることはできません。

どの企業にとっての「ファーストコールパートナー」となるべきかを見極め、将来あるべき姿から逆算する「バックキャスト思考」を取り入れることではじめて、知財が新たな事業機会を生み出す“本当の資産”となるのです。

こうした従来はなかった機能を取り入れることは、難しい挑戦かもしれません。

しかし、今後は知財の価値を「守る」だけでなく、「活かす」ことができる体制づくりを行うことで、今後10年20年と存続していくため土台を形創れるでしょう。

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