前人未踏を探すことが、研究の出発点だった
山田
まず伏脇さんのキャリアを振り返ると、入社されてからどのような研究をされていたのでしょうか。
伏脇
自動車用鋼板を錆びないようにする溶融亜鉛メッキの研究を15年ほどやりました。衝突安全性を高めるために鋼板の強度を上げると、メッキが難しくなる。その難しさをどう解決するかをずっとやっていました。この間に2年ほどイギリスのマンチェスター大学に行って、そこでは初めて自分でテーマを決めていいということになりました。せっかくなので突拍子もないことをやりたいと思って、グラフェンというカーボン材料と鉄を複合化する研究をしました。2010年にノーベル賞を受賞した材料なんですが、それを鉄の上にメッキするというものです。
山田
やっていないことを見つけて、掘り下げていくのが研究だ、と。
伏脇
研究というのは最初、過去の文献調査から始まるんです。誰かがもうやっていたら研究する意味がない。前人未踏のことをやるのが研究です。常にオンリーワンになれる場所を探していかないと、研究テーマがなくなってしまいますから。
山田
もともと歴史や地理がお好きで、見知らぬところに行くのが趣味とおっしゃっていましたよね。留学中も毎週末のように海外へ。そういう探求心が、研究者としての姿勢にも通じているんじゃないかと感じます。
伏脇
そうかもしれないですね。歴史の史跡に行って、誰がどう考えてどう行動したかを想像したりするのが好きなんです。実際に行ってその場で思いを馳せるのが楽しくて。そういうところから来ているのかなと、個人的には思います。
帰国後は研究企画部門へ。研究所の10年先、あるいは中期(3年)スパンのR&D戦略の立案、外部コンサルとの協業、マスコミ対応など、現場の研究とは異なる仕事が続いた。ここで「市場ニーズ」という概念の重要さに改めて触れた。
伏脇
世の中のニーズをもう少し反映した研究をやらないといけない、という問題意識をその頃に持ちました。研究だけをやっていると、市場ニーズを調べる術もなければ、そんな知識もない。先導探索研究と銘打っても、結局個人の興味で動いてしまって、売れない研究になってしまうケースが多かった。外部のコンサルの方とのお付き合いの中で、ニーズとかプロモーションの重要性をちょっと勉強させていただく機会があって。
学んだことのない仕事を、学びながら開く
2022年4月、伏脇さんは本社知財部への異動を命じられる。研究もそろそろ別の仕事でもいいかなと思い始めていた頃ではあった。
山田
ただ、知財部というのは想定外だったんじゃないですか。
伏脇
知財の仕事は自分にあうのか疑問でした。でも、役員や部長と話をしたら「知財の仕事は一切やらなくていい、新しいことをやってほしい、知財部のステータスを上げてほしい」と言われて。攻めの知財といいますか、知財を有効活用してマネタイズすることを考えてほしい、と。何も決まっていない。自由にやっていい、お金もつけてやる、ということでした。決まったルーチンを淡々とこなすのは好きではないので、それならば面白そうかもと。
山田
誰もツテもない中で、何を売るかも、誰に売るかも、全部一から探さなければいけない。なかなかの条件ですよね。
伏脇
そうなんです。最初は一人でした。知財部の中でタスクフォースチームを作って兼務で協力してもらえる体制はありましたが、主務としては私一人だけ。まず今まで付き合いのない異業種のお客様に、我々が持っている汎用性の高い技術を売っていくために、外部パートナーを探すところから始めました。
山田
15年以上、研究一本でやってこられた方が、いきなりマーケティングの言葉を覚えて、営業をやっていくわけですよね。
伏脇
全然違いますよね、使う言葉が。マーケティングとか、インサイドセールスとか、ナーチャリングとか。でも新鮮で楽しいですよ。御社のメンバーの方からいろいろ教えていただいて、学ぶことが多いですけど。開拓していくのが好きなので。
最初はうまくいかなかった。技術シーズを起点に探索するアプローチでは、市場のニーズと噛み合わない。試行錯誤の末、IPランドスケープを活用して世の中のニーズを加味しながら技術を選ぶ「ニーズドリブン」なアプローチへ
伏脇
シーズ起点になるとダメで、ニーズ思考でやっていかなければなりません。ニーズがありそうなところから技術を選ぶということですね。あともう一つの柱が社内外のプロモーションです。インナーブランディングといって、役員から一般社員まで、ソリューションビジネスに協力してもらうために、これをやるとどんないいことがあるかをどんどん社内に理解してもらわないといけない。社内のメンバーに協力してもらわないと社外には行けませんから。自分一人では何もできません。
背景には、会社全体の文化の転換もあった。かつてのJFEスチールは、技術を外に出すことには消極的な方針だった。それを変えたのは、経営トップの言葉と、若手・中堅社員たちが抱いた危機感だった。
伏脇
経営のトップ層が「外に出せるものはどんどん出して世の中に使ってもらおう」と言ったんです。背景には鉄鋼業界の閉塞感や新興国の台頭があって、このままではジリ貧だという感覚がありました。若手も含めて「このままでは生き残れない」という危機感があって、その二つがソリューションビジネスを進める原動力になりました。
最初は一人だったチームが、タスクフォースから正式なグループへ、そして今年、技術ソリューション部として一本化された。4年かかった。
成果は時間をかけてしか、来ない
山田
前人未踏を成し遂げるには、モチベーションの維持や周囲の理解、そして時間も必要になりますよね。
伏脇
とにかくやり続けることが大事なんだろうなと思います。新しいチャレンジというのは、最初は失敗続きが常です。それを将来のための失敗だから失敗じゃないよ、とリスク許容できる考え方がないと、事業は前に進みません。だからこそインナーブランディングが重要なんです。先行投資として中長期的にものを見てもらうための、社内への働きかけですから。
山田
今の損得だけじゃなく、希望を持てるということ。
伏脇
おかげさまで成功事例も出始めてきています。私の役割としては、これまでお付き合いのなかったようなお客さんを開拓して、インサイドセールスして、ナーチャリングしてビジネス化につなげていく。大変ではありますが、お客さんと話をすることが一番楽しいですね。自分たちの常識じゃないことが社外にはありますから、新しい発見が日々あります。
山田
研究で前人未踏を探すのと、ビジネスで新しいお客さんを開拓するのは、基本的には一緒ですよね。
伏脇
そういう意味では一緒なのかもしれないですね。誰もやっていないところに踏み込んでいくというのは。
山田
5年後はどんな姿を描いていますか。
伏脇
新ビジネスの収益はまだこれからなんですが、5年後には数億円規模、理想は数十億円規模に育てたいと思っています。今はまだ自分で動かないといけないことも多いですが、だいぶやってもらえるようになってきました。今後は仲間がそれぞれ開拓できる体制をつくっていくことが、自分の役割になっていくんだろうなと思っています。そのためにも、やり続けることしかないんですよね。今さらもう逆戻りはできないですし、やるしかない。
変わり続けながら、共に前へ
伏脇
死ぬまで冒険できたら、幸せであり本望だと思っています。やっぱり変わり続けていかないと衰退あるのみ。環境の変化や時代の変化に適応して、自分も変わっていかないといけませんから。
山田
その言葉、胸に刺さりますね。伏脇さんにとって、一緒に変わっていけるパートナーというのはどんな存在ですか。当社マーケットワン・ジャパンとの関係も、そういう文脈でお聞きできますか。
伏脇
私も結構無茶なことをいろいろ相談したりするんですが、できないものがあっても仕方ないのですが、それならこういうことならできるかも、と代替案を一緒に考えてくれる。お互いに変わりながら前へ進めてきたと思っています。特に私がやっている分野は、短期間でポンと何億円が生まれる!というビジネスじゃないんです。中長期的に腰を据えて、目標に対して前進していける、そこをちゃんと理解してもらいながら、先につながるスモールサクセスを一緒に積み上げていける。そういうパートナーだと思っています。
山田
長い探検の道のりで、スモールサクセスを一緒に積み重ねていく。そこを走り続けられるパートナーでありたいと、改めて思いました。これからも共に、前へ。本日はありがとうございました。