INTERVIEW

目の前のことに全力で挑み続け
気づけばキャリアになっていた

株式会社マイナビ

コンテンツメディア事業本部 コンテンツメディア事業部
営業・制作第1統括本部
制作統括部統括部長 制作部部長 /新規領域部部長

田宮 大樹 様

2017年にマイナビに新卒入社しメディア営業としてキャリアをスタート。以来、マーケティング部門の立ち上げやリードジェネレーション関連の商品部門の部長を経て、2023年よりBtoB領域のマーケティング支援商品を管轄する制作統括部を担当している。

一番最初に手を挙げる。田宮大樹さんは社会人10年間、ずっとそうしてきた。営業をやりながらマーケティング部門の立ち上げに参加し、商品部門の部長を経験。今は新規領域へのチャレンジも担う。10年後を描いて逆算したわけでも、次のポジションを狙って動いたわけでもない。目の前を変え続けた積み重ねが、気づけばキャリアになっていた。

一番最初に手を挙げる

小学生の頃、田宮さんは引っ込み思案な子どもだった。それが変わったのは中学に入ってからだ。何かのきっかけで「一番最初に手を挙げよう」と決めた。生徒会、テニス部の部長、高校では応援団の団長、大学ではサークルの幹事長。手を挙げるたびに成功体験が積み重なっていった。一番最初に手を挙げると、次の人よりも大したことを言わなくていいことがある。それが小さな原体験だったかもしれない。

山田

手を挙げ続けることで、自分の軸みたいなものが育っていった感じがしますね。

田宮

そうかもしれないですね。高校の校訓が3つあるのですが、それが今も自分の骨格になっている気がしていて。「意欲的であれ」「連帯感を深めよう」「当事者として世に立とう」。なぜか腑に落ちて、それを大切に生きようと思い込んで。十数年経った今でも鮮明に覚えているということは、それだけ深く刻まれているんだと思います。

山田

新卒でマイナビに入られて、最初は営業でしたね。

田宮

BtoBのメディア営業でした。4、5年経験するなかで、当時は部門内のマーケティング機能がほぼなかったことに強い違和感を覚えたんです。お客さまにBtoBマーケティングをご案内しているのに、自分たちではなかなか体現できていない。これはどうなんだ、という思いがあって。

山田

それで、手を挙げた。

田宮

当時の事業部長から「若者の目線でうちの組織に何が足りないと思う?」と聞かれたので、「絶対にマーケティングです」と答えたら、「じゃあやってみよう」と。専任部署もなかったので一人から始めました。問い合わせページを立てて、自分で編集して、仕組みを作って、取れたリードを自分でフォローして。全部が自分の仕事としてつながっている、という感覚を得られたターニングポイントでした。

延長線上に、次の一手を重ねていく

山田

営業をやりながらマーケティングも立ち上げる。一番しんどかったのはその頃ですか。

田宮

そうですね。ミッションがシンプルに増えて、自分ができると思っていた基準値に届かなかった。マーケティングを自分で提唱しても理想のようにいかない。提唱した手前かっこつかないですし、自分に勝てないのが悔しくて、それがモチベーションになりました。やり続けるといつか自分の中で納得できる瞬間があって、不安がパッとなくなる。それが気持ちいいんですよね。

営業とマーケティングの両輪で走った2年を経て、田宮さんは商品部門の部長に抜擢された。

田宮

今度は商品をどう作るか、どう展開するかという側に軸足が移っていきましたが、マーケティングはそのまま続けました。営業もセールスもマーケティングもデリバリーも、全部つながっているという感覚は変わらなかったですね。成果を上げるためにはいろんなアプローチが必要で、それを切り離してしまうと成果につながらない。特定の役割を極めるというより、どこかに足を突っ込みながら全体を見ていくというのが自分のやり方になっていきました。

山田

今は新規領域も担われていますね。

田宮

あくまで担当している事業を出発点とした新規領域となるのですが、外部環境の変化が大きく、これまで通りメディアだけを主語として戦っていくには難しい時代になっています。この戦い方からのゲームチェンジも発信したり提唱したりするだけではだめで、誰かが前に進め、体現する必要があります。いつもそうなんです。気づいたら新規領域も担当することになっていました。振り返るとそうした経験がループしていますね。

「勝つ」の主語が、大きくなっていった

山田

提案して、体現するのループをずっと続けてこられた。その原動力は何ですか。

田宮

一つは勝ち続けたいという性格だと思います。もう一つは、営業とマーケティングを掛け算したアウトプットなら、社内の中で独自性が生まれる、自分のルートが作れるという感覚がずっとあって。そうすると、先に勝てるんですよ。

山田

「勝つ」というのはどういうイメージですか。

田宮

たとえば何かのお仕事であれば「ありがとう」「次もやろうよ」が勝ちだと思っています。「ダメだったね」で終わったら負けです。ただし勝ち続けるためには新しいことをどんどん取り入れていかないといけない。変わっていないことの方がマイナスだという肌感覚も、ずっとあります。

ただ、その「勝つ」の主語が、田宮さんの中で静かに変わっていった。

田宮

今は25人ほどのチームメンバーがいて、広い視野で勝っていかないとチーム全体が沈んでしまいます。自分がそうやって生きてきたことも自負していますが、それをやめてしまったらチームのみんなを裏切ることにもなります。自分を裏切ることにもなります。私が勝つのではなくみんなで勝ちたいですね。これはすごく抽象的な表現ですが、みんな、どこかに原動力としての「火」を携えていると思います。これは照らし方を変えるだけで輝くこともあります。この火をみんなで共有してどんどん大きくて輝くものにしていきたいですね。もちろん自分もその中の一つだと思っています。

山田

自分は飽き性とおっしゃっていましたが、その火は続きそうですか。

田宮

火が切れそうになったら、周囲を見渡してこれも一緒にやったら面白そうだと新しい形にしようと無意識にしています。それがずっと続いているので、変わり続けられているのかもしれないですね。ただ燃え尽きないように、自分のご機嫌を取りながら、ということも意識しています。かかりすぎて疲れすぎてという経験がないわけでもないので。

見えてきた、自分の骨格

去年、田宮さんは行き詰まっていた。このままの戦い方だけで本当にいいのか。そこから抜け出したのも、発想の転換だった。

田宮

「メディアだけを主語にしない。では、どうしたらいいのか」と、みんなで考え抜いたんです。変わろうとすることが、現状を打破する手っ取り早い解決策になる。環境や相手を変えようとするんじゃなくて、こちらが変わればいい。自分が変わると構造も空気も変わっていく。そういう経験を積み重ねてきました。

山田

入社当時、10年後、こういう場所にいるとは想像していましたか。

田宮

それが、一切していなかったです。ここに行きたいと決めて逆算したわけではなくて、常にチャレンジを積み重ねたからこその今なのかなという感じがしていて。気づいたらここにいた、という感覚の方が強いですね。

山田

変わり続けたらキャリアができて、いつの間にかここにいた。10年後、どこにいるかはわからない。でもわからないぐらいがいいのかもしれませんね。今から想像できるところにいるぐらいじゃ、ダメだと思うので。

田宮

そうですね、間違いないですよね。だから特に新卒などの若いメンバーに話すのも、先のことばかり考えなくていい、今の自分が置かれた場所でプラスアルファを作り続けた先に見えるキャリアもあるんじゃないかということです。たとえそれが1週間スパンであっても、少しずつ現状を超えることを積み重ねていけば上向いていく。自分自身がそれを繰り返してきたので。

マイナビとマーケットワン・ジャパンの関係は、10年になる。田宮さんのキャリアが変わるのと一緒に、その関係性も変わってきた。

田宮

最初は案件ベースで「このビジネスできますか」という話をしていました。それがだんだん、チームのミッションとしてどうグロースさせていくか、御社と一緒に何ができるかという話の仕方に変わっていきました。外注先という関係性から、同じ目線を向いて一緒に進んでいこうという形に。もう少し大きな目線で何を生み出せるかという視点に変わったのが大きかったと思います。今もこういう方向性に進んでいきたいという話を直接させていただいていて、それができる関係性がありがたいですね。

山田

「外注先」から「同じ目線で進む仲間」へという言葉が、とても嬉しいです。田宮さんのキャリアが変わってきたのと一緒に、私たちの関係性も変わってきた。それが10年という時間の重みだなと思います。これからもお互いに火をくべながら、一緒に前へ進んでいきましょう。本日はありがとうございました。

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